松尾匡のページ

12年8月21日 学校選択制の外部性が大津いじめ事件を生んだ



 実家の法事で帰省するのと、学会の雑誌の特集の巻頭文の締め切りが重なった山場も終わり、今度は8月末締め切りの論文レフェリーと9月1日の講演準備に向けて、とりあえず一息です。

 さて、拙著の反響ですが、いつも拙著ご評価いただいている「南船北馬舎」さんが、今回の『新しい左翼入門』もサイトで取り上げて下さいました。
近著探訪(26)
ありがとうございます。「100%ノンポリ」でいらっしゃるそうですけど、またもお褒めいただきうれしく思います。「新左翼」スルーは実際紙幅が足りなかったのは事実でして…。しかし、最初の方で触れたように、「中核vs革マル」はじめ、多くの事例がやはり本書のテーマの「嘉顕の道」vs「銑次の道」で説明できると思います。
 共著『資本主義の限界と社会主義』の私の章「リスクと決定から社会主義を語る」については、濱口桂一郎さんと、田中秀臣さんからご紹介いただいています。ありがとうございます。モモイロクロバーの歌詞をちょっと使ったことについては、ちゃんと時潮社さんから日本音楽著作権協会に料金を払ってますので(2400円だけど)、田中さんは機会があったらよろしくお伝え下さい。そう言えば、稲葉振一郎さんもご紹介下さってこんなことを書いてますけど、だからフィクションだってば。

 さて、法事のときに来ていた大阪の親戚からも、先日の洪水の様子を聞きましたけど、大変だったようで、被害に遭われたみなさんには改めてお見舞い申し上げます。
 そんな中で、ネット上ではこんなまとめが出回っていましたけど。
近畿豪雨災害における、松井知事と橋下市長の対応が、ぶっ飛び過ぎている件
読んでいただければわかりますが、要するに、大雨の14日、松井大阪府知事(維新の会幹事長)は、福岡で「福岡の家内の実家で過ごしています。世間は騒がしいようですが、ここは、本当に静かです。旨い酒と肴で充電中。」と一本ツィートしただけ。橋下大阪市長は池田信夫大先生と放射線についてのツィートをずっと交わしていたということです。そのかん、中央区の公募ではない職員区長と職員が徹夜で情報を、更新、発信していたということ。
 翌日、松井知事は釈明のツィートをしたのですが、「今回の災害については危機管理官の元で適切な対応がなされているという報告を受けております」と…。ブログ「メモ帳」さんの、
松井知事、大阪府の災害対応を万全と呼ぶのは心配です
によれば、今回の災害は、危機管理官に任せるのではなくて、知事自身が本部長になるレベルではないかということですが。

 誰かが言ってましたけど、「維新の会」以外の政治家がこんな態度だったら、どれだけ叩かれるかわからないけど、この人たちは何をやっても報道は静かなものですね。みんな領土問題で頭がいっぱいなのかな。李大統領こいつらとツルんでるんじゃないかと言いたくなります。

 橋下さん、息つぐ暇なく次々ネタをかましてくれるところがさすが大阪クオリティーでして、…先月には大津のいじめ自殺事件をとらえて、学校選択制導入を唱えるツィートをしていました。ところが実は大津市は学校選択制をすでに導入していたのでした。元教育長の木田昭一郎さんが、「誰がどういおうと」強引に推進・決定したものだそうです。
 「きょういくブログ」さんの記事、
大津いじめ自殺と学校選択制
では、学校選択制が事件の隠蔽をもたらしたのではないかということが書いてあります。
 これはそのとおりだと思います。こんなふうに言うと、「教育には競争原理わぁ〜」とかの神学論争が始まるのかとお思いのかたもいらっしゃるでしょうけど、そんなこととは関係なくて、全くもって身もふたもない「経済学」の理屈でこれが言えるのです。

 普通の商品で市場メカニズムがうまく働くのは、コストや便益が取引当事者にだけかかってくるからです。
 取引当事者の外にまでコストや便益が及んでしまうことは、「外部性」と呼ばれ、これがあると市場メカニズムはうまく働かなくなります。例えば「公害」なんかが典型的例として言われます。
 この「外部性」の中に、「ネットワーク外部性」と呼ばれるものがあります。これは、需要側が商品の便益に影響することで起こります。普通の商品ならば、商品の便益は供給側の要因だけで決まり、需要側は関係ありません。ところが、例えばパソコンのワープロソフトなんかの場合、現に需要者がどれだけいるかということが、商品の便益に効いてきます。「一太郎」というワープロソフトのことを覚えている世代もだいぶ歳とってきましたが、昔はマイクロソフトの「ワード」よりも「一太郎」の方がいいと言っていた人もいました。しかし、世の中の多数が「ワード」を使うようになったら、ワープロファイルのやり取りをするときに、多数に合わせて「ワード」を使わなければ不便になります。
 こうしてたまたま一旦需要者の多数を獲得した商品は、そのことが理由で便益が大きくなって、ますます需要され、やがて全市場がその商品によって制覇されることになります。そうすると、その商品が本来どれほど優れているかということとは、ある程度無関係に、ただ出発点の状態がどうだったかによって、結果が左右されてしまいます。

 学校もまた、需要者によって便益が左右されるために、一種の「ネットワーク外部性」と似た性質を持ちます。学校選択制を布くと、「お利口さん」の生徒がたまたまたくさんくれば、「いい学校」とされるようになります。そしてますます「お利口さん」たちの親御さんから「需要」されるようになります。逆に、たまたま「札付きのワル」が一人でも入ってくれば、「お利口さん」の親御さんからは「需要」されなくなり、ますます荒れて、ますます「需要」が減って、どんどんと悪循環に陥っていくかもしれません。
 こうして、その学校の本来の教育能力とは関係なく、たまたまどんな生徒が入ってきたかということによって、結果が左右されてしまうわけです。
 (まあ、これは以前、基礎経済科学研究所のサイトの「基礎研政治経済学用語事典」の「外部経済」「外部不経済」の項で書いた話なんですけどね。)

 これはたしかに、レストランや飲み屋やホテルなどでも同じことです。
 しかしこれらの業界が、市場メカニズムでうまくいくのは、店側が客を選べるからです。他の客にマイナスの影響を与える客は排除できるのです。
 これと同じ効果を得るためには、学校もまた、定員が埋まる埋まらないにかかわらず、学校の判断で入学を拒否したり退学させたりできないといけません。しかしそれは義務教育では認められません。
 そもそも本来ならば、多少のワルがきても、いじめがあっても、粘り強く働きかけて、生徒の心がけ自体を変えていくというのが教育のあるべき姿です。しかしそんな悠長なことをやっていても、はっきり成果が上がる前に、次の年度には新入生から逃げられてしまいます。コストばかりかかるわりには報われません。どんなに安易であれ、「切り捨てる」という手段が取れないと、市場競争のもとではやっていけません。
 ところがその手段が封じられるとなるとどうなるか。
 当然です。いじめが起こっても、断固として隠す。こうなることは全くの合理的選択の結果です。

 では隠してもダメだとなったら、今度は何が起こると思いますか。ほら、表立って解雇できないけど人手を減らしたい時、腹黒経営者がよくやる手ですね。いじめ倒したり不都合な業務につけたりして自分から辞めさせるって方法。同じことで、やめさせたい生徒は邪見に扱って、自分から転校するようにしむけるわけです。
 LiveInPeace☆9+25さんのブログで、杉並区の例を引いて「学校選択制というのは、保護者や子どもが学校を選択できる制度だと一般に思われているが、実は、学校側が子どもを選択することになるのだ」ということが述べられています。「学校の「評判」を高めると思われる生徒だけが大切にされ、そうでない生徒は邪険にされている」とのことです。
大津市は学校選択制なんですけど

 これに関するウェブページをいろいろ調べてみて、一番おもしろかったのがこれかな。徳岡宏一朗さんのブログ。過労自殺で悪名高い渡邊美樹ワタミ会長が、こんな自殺事件をなくすためには学校に競争原理を持ち込むしかないと言っていることを批判しています。「安倍晋三首相は、教育基本法を改悪するために作った教育再生会議の委員にこの渡邊美樹という人を選び、渡邊氏も推すバウチャー制度など大阪の教育に過激な競争原理を持ち込もうとしている橋下大阪維新の会は、こともあろうにこの人に教育担当の特別顧問就任を要請しました」ということです。
渡邊美樹ワタミ会長の「どの口で言う」いじめ対策が「教師には成果主義、学校には競争原理」 お前が言うな
 毎晩和民で赤旗竹竿振り回して暴れて、そんな客を排除せずにどこまで市場競争で勝てるものか試してみればいいな。



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