松尾匡のページ

14年6月6日 こんな法律ができたら全国の大学がこうなる



 近況報告は後回しにして、いきなり本題に入ります。
 今、「学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案」が国会で審議されています。ここで提案されていることは、大学の教授会自治を否定して、
・重要事項の決定権が学長にあると明記。ここには学部長人事やその他の教員人事も含まれる。
・教授会は、学生の入学、募集、卒業、修了、学位授与その他学長が必要と認めた場合に、「学長に意見を述べる」だけの諮問機関とされる。
ということです。
 要するに、日本中の大学運営を、学長独断のトップダウン型に変えるということです。

 当初多くの人が、大学ごとの規定の運用でどうとでもなるとタカをくくっていたようなのですが、審議過程で、「法案成立すれば改正趣旨に合致しない教授会規定は変えていただく」という答弁がなされて、そんな甘いものではないぞと衝撃が走っています。

 この提案、非常に本質的な問題があるのですが、反対運動の側からそれに触れる声が全く聞かれないことに私は困惑しています。
 これは、私がウェブ雑誌シノドスに毎月連載してもらっている記事の第二回で書いたことそのものなのですけど...。

 学校法人には、株式会社と違って、株主総会もありません。株主代表訴訟もありません。

 会社の経営者は、あんまり間違った経営をして株主に損させたら、株主総会で追求されたり、株主代表訴訟を起こされたりします。オーナー経営者なら株価が下がって損しますし、オーナーでなくても、株価が下がると買収されてクビにされるかもしれません。中小企業なら、銀行からお金を借りる時に個人保証を取られますので、経営判断をミスったら私財で弁償しなければなりません。
 つまり、会社の場合、トップダウンで決定するかもしれませんが、その決定に対して責任を負う仕組みが、現実には不十分ながらも、一応あるわけです。最悪、自腹で弁済する羽目になる。それがわかっている以上は、無謀にリスクの高いことには手が出せないようになっているのです。

 上のリンク先のシノドスの記事で書いたのは、なぜソ連東欧体制が潰れたかということですが、それは、企業の過剰な設備投資や在庫投資に歯止めがなかったからです。それは、国営企業経営者が非効率な設備投資や在庫投資をどんどんしていっても、その結果に自腹で責任を負うことはないから起こることです。

 学校法人は、この意味で、ソ連東欧の国有企業と同じです。経営者が自己の決定に対して自腹で責任を負う仕組みがありません。創業一族経営のところならば、まだ、自分の私財でできた大学が潰れたら自分の損みたいなものですので、多少は慎重な決定をすると思います。しかし、ただのサラリーマン経営者の大学の場合、トップが任期が切れたらただの人で年金も保証されているならば、失敗しても損をかぶる可能性は何もありません。
 そうだとすると、大学運営のリーダーは、もともと無謀にリスクの高いことに手を出すことへの抑えをもたないことになります。
 教員は大学運営のいかんによって影響を被る重大な当事者です。したがって、その当事者からなる教授会が重要事項を決めるシステムは、トップが無謀な判断に走らないための歯止めの役割を果たしてきたと言えます。

 それがなくなって、学長独断のトップダウンの体制になったらどうなるか。リスクの高い決定に歯止めがなくなります。
 学校法人は、一応非営利の建前になっていて、役員が配当をもらえるわけでもないし、すごい高給を出すとか、ストックオプションとかいうわけにもいかないでしょう。そうするとたいてい、法人財産をいろいろな名目で私用できる特権が報酬になる場合が多いです。
 そうすると、法人の規模が拡大することにトップのインセンティブがついてしまいます。ますます無謀な拡張に歯止めがなくなるでしょう。
 これはこういうシステムをとる以上必然的に言えることです。

 いやこれは、理論的に演繹して導き出した話ですからね。いいですね。なんか真に迫ってるって? いやいや、私はただの空論を弄ぶ観念的インテリ。現実の実例を見て言っているわけではありませんからね。いいですね。決して実例なんてありませんって。いやほんと。そこのところよろしく。

 そうそう、新古典派経済学みたいに、仮想のモデルを作ることにしましょうや。ここに、仮想の大学があるとしよう。
 長年毎年授業料を値上げして、給料抑えて、毎年の経常費を授業料だけでまかなって、文部科学省からの補助金を毎年そっくり貯め込んできたとしよう。それで飽きもせずに新学部を増設増設しつづけたことにしよう。それが無茶苦茶甘い収支見通しのもと、学内のたくさんの反対の声を押し切って新キャンパス用地をポンと買ったとしよう。そして買ったあとになってから、実は財政見積もりが過大で、ほんとは322億円足りないですなんて言い出したとしよう。このあと、新キャンパスの工事費は上ぶれしていき、将来の収入見積もりは改訂のたびに下ぶれし、拡張につぐ拡張でこれまで建てまくってきた建物の修繕、建て替えがだんだん迫られるようになっていくんだなこれが。ただでさえキャンパスに学生があふれ、教室はすし詰めでパズルのようなキチキチの運用なんだけど。
 かくしてさんざん貯め込んだカネは、やがておそらくあっという間に底を尽き、今でも図書、資料は削られているけど、きっと研究費も人件費も削られて、坂道を転げ落ちるように...。そういえば、明治政府の欧化政策時代の迎賓館は鹿鳴館……って何の関係もないことを唐突に書いてすみません。

 いいですか。この法案が通ったら、日本全国の大学がこの仮想の大学のようになるのです。これは、システムのインセンティブ構造がもたらす必然なのです。たぶん、破綻する大学が続出することになると思います。

 というわけで、間に合うかどうかわかりませんが、反対のウェブ署名を集めています。どうかご協力下さい。
大学の自治を否定する学校教育法改正に反対する緊急アピール署名

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 さて、一人暮らしも軌道に乗って極めて快適な毎日でありますが、エッセーで引っ越しなど一連のゴタゴタの労苦を一人で乗り切ったように書いていたのが、カミさんは気に入らないらしい。ちゃんと自分も多大な貢献をしたことをエッセーに書けとのことです。で、早く更新しろと電話でせかされます。はいそのとおり。偉大な貢献でした。
 今カミさんは90台の彼女の父親と二人暮らしになっていて、まだ身の回りのことは自分でするのですけど、カミさん一人にそれなりに苦労をかけているような気がして心苦しくはあります。じいさんも最近は慣れてきてまたしっかりしてきたようですけど。

 私はと言えば、5月の連休に石川の実家に帰省して戻ってきてから、立て続けに査読二本に追われ、終わってすぐシノドス連載の5月記事の原稿に取組み、そのあとは5月31日の朝日カルチャーセンター講演のパワーポイント資料作成。その講演が終わってやっと一息ついたのですけど、やっぱりなんだかんだと、こまごましたことが続きます。何か楽にならない。
 シノドス記事はこちら。
ケインズ復権とインフレ目標政策――「転換X」にのっとる政策その2:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

 そういえば、朝日新聞の記者さんが、このあいだ人手不足問題について取材に来られたのですが、そのときした話が5月24日に記事になっていました。
(ザ・コラム)私たちの職場 ようこそ、人手不足 有田哲文

 景気回復で人手不足になって、もっと条件のいい職が見つかりやすくなって、ブラック企業に人手がこなくなっているというコラム。私は、景気がよくなって人手のとりかえが効かなくなってこそ、労働運動が活発になるチャンスだと述べています。
 ここで私は、失業率が下がれば労働運動は活発になることを、「ほとんど物理法則」と発言しているのですが、取材後、この記者さんから、これを裏付ける資料の紹介を求められました。アメリカについて80年代のアメリカラジカル派の本と、90年代に私がした実証研究の論文を紹介したのですが、日本については、私が以前エクセルでちょっとやってみた回帰分析結果を送ろうと思いました。
 それは、1953年以来の各年の「労働争議による損失日数」つまりストライキなどで操業が止まった日数(の自然対数)を、その年の完全失業率で回帰分析したものです。これはとてもクリアなマイナスの相関が出た結果だったのですが、残念ながら「誤差の系列相関」と呼ばれる問題がありました。
労働損失日数と失業率の相関
 そこで今回、この問題をクリアするために、労働者の戦闘性に慣性があると考え、「労働争議による損失日数」を、前年のそれと、その年の完全失業率の二変数で回帰分析してみました。すると、やはり大変相関は高く、失業率とはマイナスのわりと有意(p値2%)な関係が見られました。誤差の系列相関についてのテスト(ダービンのh)も一応クリアしています。
 ちょっと時間をつぶしてやって、エクセルファイルを送ったのですけど、記事そのものには反映されなかったみたい(まあ当然ですね)。もったいないから、「アカデミック小品」のコーナーにあげておきます。

 ところで、九州大学の数理生物学研究室の巌佐庸教授とマルコ・ユスプ特認助教との共同研究である、武士道vs商人道の進化論モデルですけど、先月、第2段の論文が受理、公表されました。今度はほとんどマルコさんがやってくれて、私はちょっと議論に加わっただけなのですけど。
 論文は以下のページで読めます。
Barriers to Cooperation Aid Ideological Rigidity and Threaten Societal Collapse: PLOS Computational Biology

 さて、前回のエッセーで、5月の欧州議会選挙での欧州左翼党の選挙綱領を紹介しました。欧州中央銀行が、困っている国に直接おカネを貸せとか、欧州中央銀行の作った資金で公共投資して雇用を増やせとか、日本の自称左翼の主流からは決して出てきそうにない主張がたくさん載っていましたけど、これを読んだ知人が、欧州左翼党のコミンテルン支部が欲しいと。
 そりゃあいいぞ。私も活動資金をもらってそれで豪遊したいと思ったのでした。
 で、選挙結果はこちらに詳しく載っています。極右躍進というのがよく報道されていますけど、欧州左翼党の院内会派も10議席の増加でした。極右以外では一番の増加。よぉ〜し!でもホントはもう少し欲しかったな。
 最大与党の保守中道派「欧州人民党」は63議席の減と、やはり大打撃でした。とはいえやっぱり第一党かあ。あんだけひどい緊縮政策をしていても。現実の壁は厚いのお。
 欧州社会党は相変わらずのヘタレだったからなあ。選挙綱領読んだら「過度な緊縮反対」って、「過度な」って何だよオイ。院内会派は7議席の減。それでも左翼党の四倍は取って第二党かあ。

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 この時期になって気がついたのが、冷房に耐えられないということ。半袖ポロシャツで冷房の部屋に半時間ばかりいただけで身体が冷えきってどうにもならず、しばらく外で光合成していました。
 それ以来、ジャケット着込んで完全武装し、極力冷房の部屋に入らないようにしています。
 腎臓が弱ると冷えやすくなるらしいですね。もともとそのせいか冷え性だったのですけど、片腎臓になってひどくなった気がする。
 越してきてから、あんまり寒いものだから、かかりつけ医に選んだ医者に、4月も半ばになってこんな冷えるのはおかしいのではないかと訴えたら、京都はそういうところだ九州とは違うと、京都のせいにされてしまいました。腎臓が弱ると冷えるというのは、どちらかというと東洋医学系の人が言っていることだと感じますが、鍼灸院に選んだところの先生も京都のせいにするもんだから、そんなものかと思っていましたけど、今になってやっぱり自分がおかしいとわかったわ。
 疲れやすいのも引っ越しのせいばかりでなくて、どうやら本当に体質がそうなったらしいとわかってきたし。

 まあ、日常生活にはだいぶ慣れてきまして、列車を間違えたり降り過ごしたりするようになりました。
 新幹線通勤ではさすがに降り過ごすことはなかったですけどね。東京は違うかもしれませんが、滋賀・京都は夜は列車は座れますので、ときどきはさすがに本ぐらいは読みます。でも、私は集中できるまで時間がかかる性格なので、集中して読めるようになった頃には降りる駅になっちゃう。だから集中して読んでいると降り過ごしてしまいます。降りる駅を気にしていると本に集中できないし困ったもんだ。
 私はこんなふうだから、いろいろな仕事が入って時間が細切れになると、とたんに集中して仕事ができなくなってミスばかりするようになりますので、そこのところよろしく。

 さて6月は、下旬にシノドスの原稿をあげたあと、28日に大阪で性感染症関係の講演をします。そういえばもうデータ集めておかないとね。



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