松尾匡のページ
研究内容4:労働者間関係へのゲーム理論の応用
1.80年代以降の労働運動・社会主義政策の後退の原因
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ME化・国際化と労働者の団結:第2次大戦後、先進各国の労働運動は賃上げやその他の労働条件の改善を勝ち取って、労働者の生活を豊かにすることに成功した。そして西欧、北欧では、こうした労働運動をバックにした社会主義政党がしばしば政権を担い、高度な福祉国家を築き上げた。ところが1980年代以降、世界中で労働運動の弱体化や、社会主義政党自身による福祉政策の後退が見られる。「私の主張6」では、この原因を、ME化とそれにともなう国際化に求めた。すなわち、かつては先進国の中核労働者でしか生産できなかった高度な工業製品が、今や、発展途上国でもパートの単純労働でも生産できるようになってきている。そこで、先進国中核労働者の賃金その他の労働条件が上がったら、コスト高になり、発展途上国の安い製品に負けて倒産・首きりが起こったり、発展途上国に工場が移転して雇用がなくなったり、安いパート労働への取り替えが起こったりする。福祉を維持するための税負担をかけると、企業がいやがって福祉が低くて税金の安い国に逃げ出し、雇用がなくなってしまう。そこで雇用を維持するために労働運動も社会主義政党も資本に迎合的になっているというわけである。それゆえこの状況から脱却するためには、全世界的に正規・パートを超えて労働者が団結し、一斉に賃上げ等の労働条件改善のためにたたかうほかない。私はこのことをできるだけ簡単に表した数理モデルを作ってみた。それは労働者と労働者の間のゲームとなる。
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二国労働者間の賃金決定ゲーム:「二国労働者の非協力賃金決定モデル」業績一覧論文No.17
では、マクロ財市場が貿易でつながった二国を設定し、企業の利潤最大化による雇用決定を前提して、各国の組合が自国労働者の総所得を最大化するように賃金を決定するゲームモデルを分析した。その結果、貿易収支の両国価格比による弾力性が、ある臨界値よりも低ければ、無限に賃金を高めることを要求するパレート最適と同じナッシュ均衡がもたらされるが、それが臨界値よりも高ければ、パレート最適ではない過少な賃金要求をすることがナッシュ均衡になるということが導けた。後者の場合には両国労働者の協力により、パレート改善をすることができる。かくして80年代以降の労働運動の弱体化を国際化の進展から説明し、その場合の国際共闘の必要性を示すことができた。
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二種類の異種労働者間のゲーム:「異種労働者間ゲーム」 業績一覧論文No.24
では、同一産業内の二種類の異なった労働者集団を設定し、やはり企業の利潤最大化による雇用決定を前提して、各々の種類の労働者の組合が自分達の効用を最大化するように労働時間を決定するゲームモデルを分析した。その結果、異種労働間の代替の弾力性が、ある臨界値よりも低ければ、過大な時短要求がナッシュ均衡となるが、それが臨界値よりも高ければ、過少な時短要求がナッシュ均衡となることが示された。後者の場合には、両労働者の協力により、さらに労働時間を短縮するパレート改善がなし得る。かくして80年代以降の労働運動の弱体化をME化の進展から説明し、その場合の職種・階層を超えた労働者の団結の必要性を示すことができた。
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二国労働者政権間の福祉決定ゲーム:「福祉国家の終焉と経済統合のゲーム分析」業績一覧論文No.23(『経済学的手法の現在――久留米大学経済学部創設記念論文集』
木下悦二編、九州大学出版会 「著書」 ) では、資本移動のある二国で各々利潤に課税して労働者向け支出をする労働者政権を設定し、税引後利潤率格差に応じた資本移動が起こることを前提して、各国政府が自国労働者の効用を最大化するように労働者向け支出を決定するゲームモデルを分析した。その結果、資本移動の容易さを表す係数が、ある臨界値よりも低ければ、全利潤に課税して労働者向けに支出するパレート最適と同じナッシュ均衡がもたらされるが、それが臨界値よりも高ければ、パレート最適でない過少な労働者向け支出をすることがナッシュ均衡になるということが導けた。後者の場合には両国労働者政権の協力により、パレート改善することができる。かくして80年代以降の福祉後退を国際化の進展から説明し、その場合の労働者政権の政策協調の必要性を示すことができた。
2.労働者自主管理企業における階級関係の発生
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問題:資本賃労働関係を克服した労働者自主管理企業においても、商品生産経済の中で活動するかぎり、様々なルートで事実上の階級関係が発生する可能性がある。私はこの考えられ得る諸ルートについて経済理論学会で発表したことがある(→批評)。この可能性について、厳密に分析しておくことが必要である。その少なからぬものは、労働者自主管理企業内の労働者間のゲーム状況から説明することができる。
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年輩労働者と若年労働者との間の階級関係の発生:そのうちの一つは、年輩労働者と若年労働者との間の階級関係の発生である。過去に蓄積された生産手段は年輩労働者の労働の成果なので、それが若年労働者と平等な決定権で運用されることが見込まれるならば、蓄積をボイコットして所得を消費してしまう可能性がある。それを避けるために後続世代が年輩者の権利の優越を認めるのである。私はこれを、「労働者自主管理企業における所得格差の発生──世代交代モデルへのゲーム理論の応用」業績一覧論文No.28
でモデル分析した。これは、労働者管理企業というトピックスにおいて、世代交代モデルとゲーム理論を使ったという点で独自性のあるモデルである。この結果、ある条件のもとでは、蓄積を行わずすべての所得を平等に分配することが部分ゲーム完全でかつパレート最適になるが、別の条件のもとでは、所得を平等分配しかつ蓄積を行うことがパレート優位な戦略であるにもかかわらず、それは選ばれず、年輩世代が剰余を取得し若年世代が搾取されながら蓄積が行われることが部分ゲーム完全均衡になる。
3.複雑労働力生産にともなう性差別の発生
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私は、「複雑労働力商品生産の疎外論──家族、消費、教育、医療、福祉の一般経済理論へ向けて」業績一覧論文No.35(『近代の復権』第3章
「著書」
)
において、独占段階においては複雑労働力生産のために家父長主義時代の性役割分担が再生されるということを論じた。私はかつてこの議論のモデル化を試みたことがある。それは、労働者達相互と企業の間のゲームモデルである。労働者は、自ら家事労働者・単純労働者になるか、それとも別の家事労働者の労働と企業の養成費用を得て複雑労働者になるかを選べる。企業は、労働者を複雑労働者にするための養成費用をかけるかどうかを選べる。この結果、複雑労働者と単純労働者の生産性格差が大きいもとでは、労働者を無差別に扱うならばすべての労働者が複雑労働者を目指すため誰もそれになれないパレート非効率な解がナッシュ均衡になるが、何でもいいから労働人口を外見で二分できる指標により片方が複雑労働者になれない予想が与えられるならば、その指標によって複雑労働者と家事労働者に分かれることが何の外的強制もなしに各自の合理的選択の結果として維持される。そしてこれがパレート効率的なナッシュ均衡となる。ところが複雑労働力と単純労働力の生産性格差などのパラメータが変化すると、この後者のナッシュ均衡が消失する。
このモデルは、追手門大学の川口章氏がすでにほとんど同じ精神のモデルを発表していたために、未公表としてある。しかし、性別以外に民族等、人口を二分する指標があれば何でもこの役割分担均衡成立の根拠になること、パラメータの変化によって解が消失することなどが、もっぱら私のモデルの特徴である。
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