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10年12月15日 自分の馬鹿なミスのせいで反論する気力がなくなっているが(追記あり:12月19日)



 前回のエッセーをあげたら、ツィッターとか「はてなブックマーク」とかで、悪評が続々ついていったので、
「フッフッフッ、釣られおったな…」
などと思って、これを受けて次の議論をしようとしていたら、タイトルの表現で私としたことが、とんでもないことを書いていたことが判明!これはもうひたすら謝るほかなくて、落ち込んでいます。
 本当にただただうっかりしていて、全く気がつかなかっただけで、「挑発」などの意図は全くありません。
 id:Cunliffeさんのブックマークコメントを読んでやっと気がつくというお粗末さでしたが、その瞬間、文学的表現の「全身の血が凍る」というのはよく聞きますが、本当にそうなるというのははじめて経験しました。慌てて授業の合間を訂正・謝罪文のアップに費やしました。
 なんだか、いつも大事なときに詰めが甘くて…。なさけないです。

 最初は、いろいろ言われるであろうことに反論し、問題提起する文章を書く予定だったのですが、なんだか今「バカナワタシヲムチウッテ」って気持ちになってしまっていて…。

 ない気力をふりしぼって、ちょっとだけ書いておきますが、(1)あり得べき誤解への釈明と、(2)なお残るであろう本質的な対立点の整理です。

 まず、あり得べき誤解への釈明ですが、前回のエッセーへの補足でも書きました通り、過去の侵略や戦争犯罪について、日本政府が謝罪することは大前提だと思っています。元慰安婦の方々の名誉回復がなされるべきことも当然です。
 そもそも政府はいまだに日の丸君が代をあがめているわけだし。あるべきプロレタリア政権なら世界労働者国家の日本支部にすぎないでしょうけど、そんなものが目の黒いうちにできるとは思えないので、どうせ当面ブルジョワ政権しかあり得ない以上、過去の支配資源を継承して統治しているという意味で、過去の支配階級の責任を引き継ぐべきでしょう。
 というか、ブルジョワにとっては、謝罪した方が利益になるので、それを嫌がるならばブルジョワ政権として無能ということになるのですけど。

 自分は謝るかと聞かれたら、私は謝る。
 なぜなら、私は世の中にわずかなりとも影響を与える可能性のある立場になりつつあり、その意味で、周囲に流されて侵略を止めることができなかったインテリやマスコミなどと立場が同じになりつつあるからです。彼らの責任を自分の責任としてもとらえておけば、再び同じようなことが起こったとき、流されず踏みとどまることができるかもしれません。いやできるかどうか大いに心もとないのですが、これでいいのかという反省ぐらいはできると思います。やっぱり駄目だったときには責めて下さい。

 でも、一介の労働者に、自分と一緒に謝れとは言えないですね。
 半世紀前の左翼の先輩たちは、侵略の謝罪と補償を日本政府に求めたけれど、その原資を大衆課税に求めたら、筋違いだと言って怒ったのではないかと思います。

 では、なお残る本質的な対立点についてですが、要は、左翼世界は過去20年の「アイデンティティの政治」をそろそろおしまいにして、再び「階級」に立ち戻るべきだということです。いろいろ展開する気力がないので、未読のかたは、
「市民派リベラルのどこが越えられるべきか」
をお読み下さい。なんでもかんでも「資本家vs労働者」だけで切っていた時代から、被差別部落、女性、障害者、在日外国人といった被差別アイデンティティに目を向けた時代を経たことで、豊かになった認識を継承して、より高い次元で、「資本家vs労働者」の階級的見方を再生するべきだと思います。「利害の連帯」を復権させるべきだということです。

 もっとわかりやすく言えば、「右翼と左翼」で書いた「逆右翼」ではなくて、本当の「左翼」に立ち返るべきだという話とも言えます。

 左翼世界は過去20年、マルクスから離れていくことを進歩とするような風潮にあった気がしますが、やはりマルクスの言う通り、「階級」の問題が世の中の基本であり、いろいろな問題の根底には経済のあり方があるんですよということ(唯物史観)が、もっと再認識されていい時代になっていると思います。


※ 追記(2010年12月19日)

 ちょっとだけ立ち直りつつありますが、まだまだ本質的論点についてのシビアな議論の乗り気はしないので、まず、まだ誤解が残っているかもしれないことについて、補足させて下さい。
 前回の議論で、私の主張が、軍部にだまされたのだから一般国民は開き直っていいんだとか、侵略の記憶を継承しなくていいんだとかという印象を与えたとしたら、それは全く真意と違います。
 これは「あとだし」とかではなくて、冒頭掲げた私の「小説」もどきで、この点について、戦後補償のことではありませんがテーマとしてとりあげています。

 もちろん読んでご確認いただければ一番ありがたいです。しかし、エッセーで自慢げに書いているのは、もちろんツッコミを期待したネタ文で、本当は文学などドしろうとの書いた駄文ですので、お忙しいかたにわざわざ読めということははばかられます。そこで、要点をもうしますと──、
・か弱い一個人が、システムの大きな力に従わざるを得ず、他人を害してしまうことは責めることはできない。
・しかし、その中で、自分のできる範囲の力で、他人のためにどれだけその被害を抑えて厚意を尽くすかが重要である。
・だから、やましさを感じ続けることが必要で、開き直ったらおしまいである。
・システムの大きな力に屈さなかった人に嫉妬してはいけない。
・一部の人の行為(この「小説」の場合はテロの応酬)を、集団全体の責任に広げてはならない。
・集団全体の責任にしないために、その行為を非難する意思表明は必要である。外から見てそれで割り切れない気持ちが残るのも当然であるが、それを肯定してはならない。
──というようなことです。
 一つの「民族」全体が被る被害とそれへの様々なリアクションの責任を、どう考えるべきかというようなお話です。

 書き方が至らなくてうまく伝わらなかったかもしれませんが、前回のエッセー全体の流れが、このような主旨にそって書かれているということで、ご理解下さい。

 現代にたとえて言えば、例えば、小泉改革に熱狂した一個人を責めることができるかという問題になると思います。
 聞いた話では、身動きにも不自由する障害者の人が、今まで一度も選挙など行ったことがなかったのに、郵政解散選挙のときに、今度ばかりは這ってでも投票しなければならないと言って苦労して出かけて、自民党に入れたそうです。あれで自民党が圧勝したおかげで、悪名高い「障害者自立支援法」がそのあと速攻で成立しました。
 バカだと責められますか。私は責められない。敵のマスコミ操作などのスゴさに驚愕するだけです。
 親しい友人の障害者からなら被害の当事者として責められるかもしれない。でも、障害者でも、あまり知らない活動家とかならば責めてはならないと思います。
 でもいまだにあの判断は正しかったと言っていたならば、批判されてもしかたないでしょう。忘れてしまおうとしていたら、それもよくないでしょう。

 ところで、id:Apemanさんから、ご批判のエントリーを二ついただいています。
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20101216
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20101218
丁寧にご検討いただきまして、ありがとうございます。

 まず「最終解決」という表現の件ですが、ご批判の主旨とは違いますが、自分以外にもこんな言葉を使った例があったということを知って、ちょっと救われました。感謝するのはお門違いとは思いますが、感謝しておきます。自分のことを全く棚にあげて、いったいどんなセンスしているんだと、マジに思ってしまいます。何人も弁護士さんがいるんだから、一人ぐらい気づけよと。まあ私と違って、これで挑発ととられる文脈ではないからいいのかもしれませんが。
 それで、ナチスの話はおいておいて、「最終」という言葉が、一件落着でもう忘れてしまっていいというニュアンスがあるとしたら、それはたしかに問題で、よろしくない言葉だったと思います。
 繰り返しますが、戦後補償は「財源問題」だけが問題なのではなく、政府の謝罪も、記憶にとどめるための取り組みの継続も必要であるということは十分認識しておりますので、その点ご理解下さい。

 (戦後補償はもちろんということだと思いますが、)「被爆者援護法」ができても「一般戦災者補償法」ができても、財源が税金ならば、支配者も庶民も同じというご指摘もいただいています。
 自分が学生時代に「被爆者援護法作れ」とかシュプレヒコールしていたとき、それが将来自分の負担になるという感覚はあまりなかったですね。負担することが嫌だとは全く思いませんが。
 あの頃は、消費税もなく、税金の累進性も今よりきつくて、公害補償にしても福祉や医療や教育の支出についても、主としてブルジョワの負担になるもので、自分たちの望む政権ができたらますますそうなるというのが一般的感覚だったように思うのです。まあちゃんとした論拠があるわけではありませんけど。
 ちなみに、「軍人や戦前の公務員(もちろん一定以上の地位にあった者に限定して)およびその遺族の恩給から財源を捻出するというのであれば『…支配エリート』に責任をとらせたと言えるかも知らんけど」との件ですが、軍人恩給が地位に応じて高くなるのはケシカランと言っていたわけですから、事実上そうなることを目指していたと言えるかもしれません。

 それから、90年代以降の戦後補償をめぐる言説で、支配者と庶民の責任を無差別に扱うものなどはなかった、議論の蓄積をふまえず「血統原理」と言うのは矮小化だとのご指摘ですが、まずもって、Apemanさんと比べたらはるかに不勉強なことを恥ずかしく思います。
 とりあえず私のところには、各種党派、団体の機関誌紙類がいろいろ届きますので、それらに目を通してきたことや、周囲で直接の言動を見聞きしてきた印象レベルの話で、もうしわけないけどご容赦下さい。まあもちろん支配者と庶民の責任を完全に無差別に扱う人はいないでしょうし、程度問題になってくるのでしょうけど。
 戦後補償問題にかぎると記憶が乏しくなりますので、18日付エントリーのご議論と合わせての回答になりますが、80年代は私自身が左翼世界を変えるつもりで「アイデンティティの政治」の進展に積極的に賛成していたわけです。それが階級意識を薄めることになるとは何も思わなかったです。
 それが90年代になるといろいろな場面で違和感を感じるようになった。詳しく書く余裕はありませんが、集団のアイデンティティを強調することがその中の個人の個性を抑圧する窮屈さとか、経済的利害から根拠づけることが価値の低いもののように扱われるようになったことなどです。戦後補償問題そのものについて違和感を持ったことはありませんでしたが、中国や北朝鮮の内政についての批判が、日本人の侵略責任を根拠に抑えられる言説はよく経験しました。こんなことを望んでいたわけではないぞという反省が進んでいったわけです。
 Apemanさんはもちろん、多くの人も「血統原理」に立ってものを言っているのではないとはもちろん思いますが、大衆レベルでどのような展開になるかは、いろいろな可能性を考えないといけないと思います。実際、ある左翼政党の機関紙で、戦争責任問題に関連して「日本人のDNA」という表現を目にしたことがあります。比喩とも断言できない文脈でした。

 18日のエントリーでは、1971年の安丸良夫さんの「90年代的」文章をお教えいただいてありがとうございます。まあ、私は「クサレ文化左翼」などという罵倒語を使うことはありませんけど。
 上記「市民派リベラルのどこが越えられるべきか」を書くきっかけになった濱口桂一郎さんは、「リベサヨ」と呼んで批判されている90年代型左翼の源流を、たしかに70年代(もっと正確には、60年代末の新左翼諸派の志向)に求めています。それは、根拠があることだと思いますが、そのエッセーにも書きましたとおり、当時は、中核的労働者が高度成長で豊かになる一方で、被差別アイデンティティの人たちが、周辺で貧困なまま抑圧されていた現実があって、その問題を取り上げることは左翼的階級意識と矛盾するものではなかったと思います。
 今の議論に関係する国際関係の問題で言えば、あの当時は従属学派が出てきて、「北の国民が南の国民を搾取している」という問題提起をしたわけです。これも、そういう現実がたしかにあって、先進国の労働者に「今の豊かな生活これでいいの?」と提起して南の国の側につくことが、階級図式と矛盾するとはあまり思われてなかったと思います。そんな中で、日本資本主義がアジアへの経済進出を始める段階に至り、日本の労働者に改めて戦争責任を想起させることは、階級的立場からも意義があったのだと思います。
 しかし90年代にもこの図式が維持されると違和感を感じざるを得なかったのです。本サイトで再三批判している社民党の機関紙の経済評論はその行き着くところでして、「没落」するとされるアメリカ覇権に対して、アジア新興国の経済発展に期待をよせる姿勢になってしまっています。強権で賃金を抑えた独裁国に日本から経済進出などされたら、日本の労働者は他国民を搾取できるどころか雇用を失ってひどい目にあう時代になっていますが、侵略の加害国民だからという理由で、こうした体制に文句がつけられないとなっては困ります。

 ちなみに、引用下さった安丸さんの文章の内容自体についてですが、「多くの民衆は、戦争と敗戦にいたる過程を『ダマサレタ』という論理でとらえて納得したが、そこには戦争責任をみずからのものとする意識が欠落しているとともに、旧い価値とのふかい内面的な対決を経ないままに、いち早くあたらしい価値を受容してゆく姿態が表現されていた」とのことですが、安丸さんは、調べてみたら昭和九年生まれでした。父と同じです。軍国少年からの最も劇的な価値観の転換を経験した世代だと思います。戦争責任を自らに問うことなど、そもそもなかった年代だと思いますが、それだけに自戒のようなものを込めた文章なのだろうと推測します。



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