松尾匡のページ

11年8月4日 書評四点



 今、定期試験の採点はほぼメドが立ってきた段階。やっとゆっくりできるという感じで、この夏書く新書は、とりあえずまず関係ありそうな本読みはじめてます。…って、間に合うんかい。
 おととい、テレビが1台(主に義父用)と掃除機が届きました。こないだの日曜日にやっと近所の量販店に買いにいったら、テレビ2台とDVDデッキと掃除機で、先日の性感染症講演の講演料に千円足したぐらいで収まった(7月12日エッセー参照)。家に帰ってカミさんに報告したら、喜ぶかと思いきやどっこい。九月入荷予定の我々のリビングに入れるテレビが安すぎるということで、いろいろ質問がきて、BSが入らないっておかしくないか(もともとつなげてないし見てないのだが)などと言ってどんどん機嫌が悪くなっていきます。なんでやなんでや。…おろおろしてたら、郵便屋さんが「ピンポ〜ン」。おあつらえ向きに、某雑誌から、レフェリー謝金2万円が届いたのでした。いそいそと捧げたてまつったら一転機嫌がよくなったから助かった! ありがとう某雑誌。


 さて、いただきものの本がたまっていて、いいかげん紹介記事を書かないと心苦しいので、また忙しくなる前に今のうちに少し。

 まずいただいたばかりのもので、
田中秀臣、上念司『震災恐慌!──経済無策で恐慌が来る!』宝島社、本体1238円
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 出版早々いただきまして、ありがとうございます。増税策動に立ち向かい、リフレ政策への転換を求めて大車輪で活躍中の二人による対談形式の本です。まあでもどっちが誰の発言かあんまり特徴がなくて、名前入れ替えても全然不自然じゃないけど。ボケとツッコミとか分担した方がおもしろい本になったんじゃないか。
 拙著『不況は人災です!』では、まるまる省略した歴史話ですが、景気を語るときには「昭和恐慌」と「高橋財政」の話はホントは欠かせないトピックスです。上念さんの以前の本、『デフレと円高の何が「悪」か』(光文社新書)でもわかりやすく書かれていますが、要するに「昭和恐慌」は、不採算産業を一掃する大義名分のもと、金融引締め、財政削減の意図的なデフレ政策でもたらされた人災であり、ここから脱却するために、高橋是清は金本位制をやめておカネをジャンジャン刷って政府支出することで景気を回復させて経済を救ったということです。このことが、今度の対談本では昭和恐慌の七年前の関東大震災にさかのぼって説明されています。

 ここで二人が指摘しておられるのが、戦前の関東大震災と今から16年前の阪神大震災を比べると、その前後の経済状況がとても似ているということです。二人が言っていることをボクなりに表にまとめてみると、以下のようなことになります。
[先立つ10年間]
加熱景気とその崩壊
第1次世界大戦特需景気(1914〜)
戦後恐慌(1920年代はじめ)
バブル景気(1986〜)
バブル崩壊不況(1990年代はじめ)
震災
関東大震災(1923)
阪神大震災(1995)
[震災後]
金融不安
震災手形の焦げ付き→
鈴木商店倒産、台湾銀行取引停止(1927)
兵庫銀行倒産(1995)
阪和銀行倒産(1996)
[震災数年後]
総需要引締め政策
旧平価による金本位制復帰、緊縮財政(1929)
消費税増税、緊縮財政(1997)
[その直後]
大不況
昭和恐慌(1930〜)
デフレ不況(1997〜)

 ここで強調されているのが、金融引締め基調で景気が低迷しているときに震災に見舞われ、その結果資金が必要になったのに、大胆な金融緩和がなされなかったために資金繰りがつかずに金融不安が起こった。そんなときなのに、政府はなすべきこととは真逆の政策をとってしまった。つまり、増税や財政削減など総需要を減らす政策をとってしまった。そのために、とりかえしのつかない大不況になってしまったということです。
 この、金融引締め基調で景気が低迷しているときに震災に見舞われ、その結果資金が必要になったのに、大胆な金融緩和が見られないということは、今回の東日本大震災でもあてはまることです。日銀は震災直後一時的におカネを出しましたが、すぐもとに戻っています。(こちらを参照。「観の目つよく」さん)
 こんな中で、消費税の増税などが企まれているのですから、お〜こわ。「二度あることは三度ある」の道へまっしぐらという感じですね。

 もちろん、この本は、こんなことにならないよう、しっかりとした復興支出をバンバンやろうと主張しています。そのための資金は増税ではなくて、他の支出の振り替えでもなくて、高橋是清がやったように、国債を日銀が引き受けて、無からおカネを作って用意するべきだと言っています。
 さらにこの本の特長は、このかん私たちがこのような主張をしたら、いろいろ批判がなされてきましたけど、そんな典型的批判に対する反論が丁寧になされていることです。
 例えば「高橋財政」に対しても、間違った批判がよく見られますね。「高橋是清が無からおカネを作り出して財政支出をまかなう政策をとったせいで、戦後のハイバーインフレがもたらされたのだ」って言うような。実は高橋是清は、景気が十分回復したのを見届けたら、今度はおカネを出すのを引き締める政策に乗り出したのでした。それで、軍事費も削減だってことになったから、軍部から恨まれて、そのせいで2.26事件で軍人に殺されたわけです。後継者の馬場^一蔵相が、歯止め無くおカネを作って軍事費につぎこんだのであって、戦後の悪性インフレにつながったのはそっちのせいです。しかも、そうなったのは何より、戦争で全土焼け野原になって、財の供給能力が壊滅しちゃったことが最大の原因ですし、それでも定義通りの「ハイパーインフレーション」にまではなりませんでした。たしかにひどいインフレには違いないですけどね。

 そのほか、「財政規律が保たれなくなる」とか「通貨の信認が失われる」とかの、わかったようでわからない「マジックワード」を使った議論についても反論しています。「通貨の信認」の問題についてはこのエッセーコーナーでも何度か取り上げてきました。国債は日銀がきっちり買うのでその価値が下がることはないし、円が安くなったら輸出で景気がよくなって万々歳だし、復興需要20兆円ぐらいでハイパーインフレになることは絶対ない。「財政規律が保たれなくなる」と言うけど、戦前の軍人みたいな勢力がおるんかい。仮に政府がお調子者で信用ならなくても、「物価水準目標」のような歯止めを法律で決めておけばいいだけの話。いや全くその通り。小気味良いです。
 そもそも私たちは、「インフレ目標」政策を提唱してきたわけですが、これは、デフレを克服するぞという下側からの目標であるとともに、それを超えてインフレが進行することはさせないぞという上側からの目標でもあるわけです。だいたいデフレをインフレにするより、インフレを抑える方がよっぽど簡単なのですから、これができないはずはない。そしてそれがわかっている以上は、将来のインフレ悪化の予想が今のインフレ悪化をもたらしていまうルートはあらかじめ潰せることになります。
 この本でも強調されていますが、そもそも政府の借金がひどくなったのは、不況で税収が減ってしまったことが一番の原因です。景気がよくならなければ財政赤字が改善されることはありえません。増税で景気がこれ以上悪くなったら、ますます政府の借金は増えてしまう。そっちの方がよほど「財政規律」が壊れてしまうというものです。

 それからこの本の主張で印象に残ったのが、上念さんの「三大べからず」で、「増税」「金融引締め」に続いてあげられている「復興資金の逐次投入」。これをするなという主張です。
 この本で田中さんは、関東大震災の復興支出が結局「ショボい」ものになってしまったことを、その後の大不況への成り行きの原因の一つにあげていますけど、今回は輪をかけて「ショボい」ものになりそうで怖いです。しかも、別の支出を削ってまわしているというお粗末さ。マクロ経済的にも復興そのものの目的のためにも、こんなチマチマダラダラは事態を悪化させるばかりでしょう。
 この本では、阪神大震災の場合は、被害総額10兆円に対して、そのほとんどに見合う9.1兆円を、最初の1、2年のうちに支出したことが評価されています。民間の支出や地方政府の支出も含めて、最初の二年でだいたいの復興支出はなされたそうです。そしてそれでとりあえず阪神は立ち直れた。(って、それで決して十分ではなかったことはボクはよく承知していますけど。)
 この本ではじめて知ってとても印象深かったのですけど、この数字は、阪神大震災後に出された林敏彦さんの「検証テーマ『復興資金──復興財源の確保』」というレポートに載っていたものだそうです。そしてそのレポートでは、将来、東海地震や東南海自身や南海地震が起こったらと仮定して、その被害総額が阪神大震災の二倍以上になるだろうと予想し、復興支出も二倍以上の対応を「最初にドカンとやることが重要である」との内容のことが書かれているそうです。
 実際、今回の東日本大震災の被害総額は阪神の二倍の約20兆円と言われていますから、それくらいの支出を二年のうちにしなければならないということになります。ところがこの本によれば、今検討されている支出は当面1兆円に満たず、すべて他の支出を削ってまわすとのこと。まったく、そんなことするくらいなら増税で財源にした方がまだましですよね。だって、増税の場合は、支出されずに貯蓄にまわって死んでしまうはずだったおカネもいっしょに取られて政府支出にまわるわけですから、その分は総需要の増加になりますけど、別の政府支出を削ってまわす場合は、もともと全部支出されるはずのものが支出先が変わるだけですので、景気にプラスになる側面がありませんから。


田中さんと言えば、この本を早々にいただいておきながら、ながらく忙しくてほったらかしていてすみません。
田中秀臣『AKB48の経済学』朝日新聞出版、本体1200円
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 本人によれば、自分の出した一般書の中で一番気に入っているみたいで、なんか気の利いた評価をしなければならないプレッシャーを感じるんですけど。私アイドルの顔がみんな同じに見えるどしろうとですから。予備知識ゼロのボクが読んでもたしかに一気にわかりやすく読めましたけど、適切な批評なんてもともとできませんから。
 だいたいこの本の装丁。帯がAKB48の「制服」のスカートだってことも、あとでやっとわかりましたし。
 そうだったのか。じゃあ、これとっちゃったらどうなってるのかな…ムフフ。ドキドキ。…なんだカバーにも同じ柄が印刷されてるのか。なんてアホなことやってみたりして。

 まあ、要はAKBスキームは不況型ビジネスモデルだって話。その肝は、一過性の流行が終わっても、おカネのないオタクから末永くむしり取れる支えられるように、低価格「劇場」という最低限保障基盤をとってあるということらしいです。へぇ〜。感心して納得するほかない。
 あと、AKBの組織原理が日本型組織の特徴をたくさん持っているってことらしいけど、なんだかうっすらこじつけっぽい。まあ、ネタ話として割り切って楽しむべし。
 なぜか以前ブログで書かれていた「抱き合わせ販売」のミクロ経済学的分析のわかりやすい解説が、「田中」「池田」「山形」という登場人物名までそのままで載っていて、読者の何割がこんなネタわかるんだよ。と思ったら、そのあとの部分でAKBは「抱き合わせ」ではないって。じゃあ何のためにこんな詳しく載せたんだか(笑)。

 突っ込みどころはたくさんあるようなのですが、わざとだそうなので、なるべく釣られるのが礼儀ってもんです。
 まずもって、冒頭の、「ズームイン!! SUPER」からの「AKBについて経済学の視点から話してくれ」という取材に対して、

私自身は当時はAKB48のことはよく知らず、「なんでぼくのところに、こんな取材依頼が来るんだろう」と思ったくらいでした

という文章に対しては、「なんでやわかっとるやろうが」とか「待ち構えとったやろう」とかと突っ込んであげなければいけません。

 AKBスキームのようなデフレを背景にした「デフレカルチャー」が、今後好況に転じてもなくなることなく、「構造的に定着した」とのくだりには、「とうとう田中さんも構造派になったか」と突っ込んであげなければいけません。バブル青田は「ゾンビ」だ「清算せよ」などと言い出さないように。

 「モーニング娘。」ファンの金子勝さんのAKB批判発言への反批判のくだりは、決して読者は真面目に受け取らず、アイドルヲタどうしのdisりあいとして生あたたかく見守りましょう。
 金子さんが、派遣社員型のAKBスキームは若者の雇用の非正規化を推進するものとケチをつけたのに対して、田中さんは、これはデフレの「結果」であって「原因」ではないと、日頃の金子さんの賃金デフレ説に金融政策犯人説を対置する形で論じているのですが、もしそうならば、「早くリフレ政策で景気回復させてこんなスキームはなくしましょう」という結論になるはずなのですけど、そうはなっていませんもの。

 しかし、ちょっとだけマジなこと言うと、給料安い問題はやっぱり問題だと思いますよ。おカネ度外視の「やりがい」でやっているという話はそうなんだけど、「やりがい搾取」はブラック企業の常套手段のひとつだもんね。
 デフレ不況が長引き、中核的正社員が削減され、大学生は年々就職難。こんな中で、それなりのいい会社の正社員の専業主婦になるという女子の人生目標は、最初から成り立たなくなっています。しかしその一方で、各自の能力を活かしたキャリアを積んで、いろいろな方面で社会に貢献する道には、あいかわらずの性差別の壁がまだまだあります。そうなると、開発経済学のルイスモデルの、農村の過剰人口が都市工業部門に無限の労働供給をもたらす話みたいなもので、何らかの意味で女性らしさが売り物にできる職種に向けて、無限の女子労働供給が起こって、それこそ賃金水準は生存維持最低水準に張り付くことになります。普通の女の子でもアイドルになれるかもというAKBスキームは、その意味うってつけです。

 もちろん田中さんがこうしたことを知らないはずはない。田中さん自身はこの本が一番のお気に入りのようですけど、ボク的には、田中さんの一般書での最高の業績は、『偏差値40から良い会社に入る方法』だと思います(本サイトの09年12月31日のエッセーの最後参照)。これを読めば、田中さんがどれだけ自分の学生の人生を真剣に考えて仕事しているかわかります。学生がわけもわからずブラック企業に入ろうとすることとの苦闘も描かれています。
 たぶん自分のゼミ生が、AKB48(あっ地元ならAKG48か)に入りたいとか言い出したら、田中さん絶対止めると思う。それで思いあまって「おまえみたいなブサイクが売れるわけないだろ」とか言って、パワハラで訴えられるんだ最後は。


ジェイン・ジェイコブズ『アメリカ大都市の生と死』山形浩生訳、鹿島出版会、本体3300円
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 訳者の山形浩生さんからご献本いただきました。ありがとうございます。
 ジェイコブズって、ボクは拙著『商人道ノスヽメ』で、この人の『市場の倫理統治の倫理』の議論におおいに依拠させてもらったのですけど、本来はこの本で有名な人です。まちづくり系の関係者はみんな書名だけは知ってるけど、読んだ人はほとんどいない「読まれざる古典」でした。かくいう私も読んだことなかったです。
 だから社会的ニーズの大変大きい翻訳だったと思いますよ。

 訳にもまして、かなり詳しい山形さんの解説がついていまして、これが有意義です。ボクもはじめて知ったことも多かったです。
 まずもって、ボクはジェイコブズっててっきり都市社会学者か何か、社会学系のアカデミズムの世界の人だと思っていました。実はそうではなくて、在野のアマチュアの人でした。こんな根本的なことも、みんな知ってたのかな。一介のおばさんから、市民運動に立ち上がって、いくつかの開発計画を実際に粉砕したことで有名になった人のようです。
 そして、この本についても、「ゼネコン・行政連合軍主導の上からの再開発に対して、市民の立場から異議を突きつけた輝ける先駆的業績!」と、漠然と紋切り型でイメージしていたのですけど、実はすでにこの本が出る頃にはアメリカの「ブルドーザー型再開発」は盛りをすぎていて、反省の流れが始まっていたのだと言います。
 しかも、そもそも当時アメリカの都市は人々の郊外転出によって衰退していたそうで、スラムを潰して高層アパートと公園を作り、都市に郊外のような環境を持ち込もうとする計画は、決して今日思われているような悪者ではなかったということです。そこにあえて異議を唱えたことがこの本の重要さなのですね。

 で、この本の主張なのですけど、街というものは、その機能にしろ建物の古さ新しさにしろ何にしろ、ともかくいろいろ多様に入り交じって、いつも誰かが入れ替わり街路にいて、要するにゴチャゴチャしてないといけないというわけですね。
 「敵」はほら、例の「ゾーニング」ですし。つまり、「ここは商業地区」「ここは住宅地区」とかと、地図の上に線引いて町の性質をそれぞれ一色に塗り分けるやつです。こんなことするから衰退するんだと言います。街の利用スケジュールが単調なせいで、一日のある時間は全く人が通らなくなって、活気はなくなるし治安は悪くなる。人が住んでる町で飲み屋が遅くまで開いてるからこそ、夜中でも人通りがあって犯罪が起こりにくいのだというわけです。
 「敵」は郊外の風景にあこがれて、何かと公園を作りたがるけど、たかが都市の緑地程度で街の二酸化炭素が浄化できるはずもなく、かえって市街地面積が広がって移動に自動車使う分二酸化炭素増やすだけ。ゾーニングのせいで一日のうち全く無人の時間帯ができてしまった町の公園は、荒廃の巣と化してしまうと指摘します。
 さらに、何かと自動車ばかり目の敵にする風潮にも文句をつけています。自動車のなかった昔はどうだったかってんで、馬車時代の糞尿にまみれたロンドンの喧噪を描いた引用は生々しく、訳者はノリノリ。わかります。

 まあ、この「読まれざる古典」を奉ってきた人々の中には、緑地公園にしろ自動車にしろ何にせよ、都市的なるものを敵視し、田園的なるものにあこがれる傾向もなきにしもあらずだったと思うのですけど、本当はこの本は全くそうではなかった。むしろそれこそが敵側の志向で、それと闘う中でこの本が生まれたということですな。ボクにとってはそれが小気味良かったです。

 訳者も強調していますけど、この著者の強みは現場の実体験に基づく具体的で活き活きした描写にあります。批判も提言もそうです。だから、著者が言いたいことを一般化してまとめながら読むのはかなり骨が折れます。そういう志向の読み方自体が拒否されているという気もします。

 そういえば、訳者解説では拙著『商人道ノスヽメ』も紹介されていました。さあみんな何が書いてあるか気になるかな。気になる人は現物をゲットだ。(小声で)古本や図書館でいいけど(笑)。
 (…って、実は解説はcruelなサイトでも読めるんだけどね。入り口から到達するのはちょっと難かも。)


ジョシュア・ガンズ『子育ての経済学』松田和也訳、日経BP社、本体1600円
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 出版社さまからいただきました。ありがとうございました。
 大笑いして読みましたよ。あんまりおもしろかったので、自分で二冊買って、近年子供が生まれた弟夫婦二組に送りました。

 子育て支援政策の効果とか、子育ての支出とか、その手のことを論じた本ではありません。
 親と子供のやり取りを経済学的発想で説いてみようというものです。つまり、飴と鞭のインセンティブに対する反応として子供の振る舞いをとらえ、それをあらかじめ読んで合理的に作戦をたてたつもりなんだけど、成功もするけど、しばしば失敗もする。自分の三人の子の子育てを、その抱腹絶倒のケーススタディとして語った本です。子供というのが、いかに「経済合理的」存在か、子育てというものが、ゲーム理論の実験場としていかに「適切」かということがよくわかります。

 特に、著者の三人の子供の一番上の女の子の「経済学」ぶり!それをプロの経済学者のはずの父親があらかじめ読めず、後で目をまわすところがまた笑えます。
・ちゃんとトイレができたらお菓子をあげると約束したら、ひたすらトイレにこもり、「ともかく何かをひねり出すまではテコでも動かない子になってしまった」。
・ それでトイレにこもる時間に制限をつけたら、一回で出せるものを三回に分けて出して、お菓子を三倍もらうようになった。
・弟をちゃんとトイレさせることに成功したらお菓子をあげることにしたら、見事にそうするようになったはいいが、裏でひそかに弟に大量の水を飲ませていた。
・生まれて六週間延々夜泣きで親を悩ませたが、一晩放置したら以後ぴったり夜12時間おとなしくなった。つまり、泣くエネルギーのコストがかまってもらえる期待をうわまわると判断された。
・ 水泳教室で自己ベストを出したらリボンがもらえる毎月のレースに、初めて参加したとき、毎月リボンがもらえるように、できるだけ遅く泳いだ。
等々といったエピソードが続くのですが、ほかにもこの子、クラスで男子のグループにも混じってるために、同じ日に男子と女子の二つのパーティによばれる唯一の子になって、送り迎えの父親を悩ませるとか、食欲が旺盛なため、野菜を平らげたら肉やデザートを食べていいようにした作戦は図星で効くとか、パーティで他の子供たちが食事をやめてゲームなどを始めても、テーブルに残されたものを一人でむさぼり食っているとか、まだ食べている人がいるのに自分の食べるものがないのが耐えられないので、食べるスピードを遅らせて調整するとか(父親がからかって遅く食べると、負けじと遅く食べて二人でアイスクリームのスープをすする)、なかなか将来楽しみです。お遊戯会で、やる気のないダンスパートナーの少年を、人形のように扱う描写は何度読んでも笑える。
 今12歳みたいだから、この調子だと、そろそろリフレ派のオタクども(他人事)を萌え殺すキャラに育ってるんじゃないかな。

 ちなみに、二番目の子は、かなり知的な少年に育っているようで、ガンズさんブログで親バカさらしています。
http://gametheorist.blogspot.com/

 まあウチの子の場合は、やりたくないことをしないということは、小さい頃からあらゆるインセンティブを凌駕するようで、なかなか「飴」で動かすのは困難でした。結局は、「なまはげさんに電話する」とかの「鞭」に頼るんだけど、すぐ忘れて同じことの繰り返し。
 考えてみたら、学生を相手にするときこそ、まさにゲーム理論のトレーニングですよね。ただインセンティブの構造が違うから、お互い手の内を読み間違ってへんなことになることが多いけど。(だいたいは費用最小化とか労力最小化で行動していると見ておけば間違いないとわかってきましたが、これって実は効用最大化と双対になっていないんじゃないかと感じます。)


 またこのエッセーだけのために三日もかけてしまったので、いただきものはまだあるのですけど、今回はこのへんで終わり。


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