松尾匡のページ

11年12月14日 性と景気+田中正造直訴110年



 毎週末なんかある感じであわただしいです。前回のエッセーで報告した1日の名古屋講演のあと、そこにも書きましたけど、3日には東京で性感染症の学会で共同報告に立ち会い、終わってすぐ九州に帰宅。
 翌週は、10日土曜日に、後援会役員やっている市議会議員の後援会の忘年会の会場準備だけして、ただちに空港に向かい、11日は一日中、経済理論学会の雑誌の編集委員会でした。今回はこの委員会の報告書類三種類作らなければならなかった。
 12日月曜日の昼すぎ九州の自宅に帰り着き、翌朝には出講のため滋賀県へ。今週末土曜日は、うちの学部のゼミナール大会があるので、それまで大学にいます。

 12日に東京から帰りの飛行機の中で、今執筆中の新書原稿のことを考えていたのですが、こんな調子で日本の初期社会主義の歴史ばかり書いていたら他のことが書けなくなると悟って、一から練り直しすることを決意しました。ああ、いつ終わることになるのやら。
 そうでなくても、この正月休みには二本原稿が別に入ったのです。

 一つは、来春大西広さんが京大から慶応に移るので、京大で退官記念論文集が出るということで、ついては一本そこに書けとのご本人からのご用命。
 テーマまでリクエストがあって、以前大西さんとの科研の共同研究で報告論文に書いたモデル(執筆のドタバタは07年3月15日エッセー参照)を発展させよとのこと。マルクス=置塩の基準による「無搾取」と、ローマーの基準による「無搾取」とは、一般に乖離するとされているのですが、この論文では、生産手段の初期存在量が増えていくと、ローマー的無搾取はマルクス=置塩的無搾取に一致していくということを証明しました。でも、この証明は、各自の効用関数が「コブ・ダグラス型」と呼ばれる特定の関数を仮定していたうえ、実質的に一財モデルだったので、もっと一般的に証明することが課題になっていたのです。
 それを証明して論文にしなければならないのですけど、まだ全然着手していません。これが1月末締め切り。

 もう一つは、今の職場の先輩マル経教員からのご用命。某出版社から、TPP批判の共著企画が持ち込まれたとのことです。
 ボクは本当は自由貿易賛成ですが、その人も実は本質的に自由貿易賛成で、困っておられたのです。目下のタイミングで、今の形のTPP参加に反対する論文はいくらでも書くけど、収録論文には、もともと自由貿易反対の論文がいっぱい集まりそうです。さあどうする!
 特にボクは、TPPの政治的なこともわかりませんけど、そうやって集まってくる共著者面々の中で、議論を調整して妥当な文章を作るなんていう政治センスも全くありません。そういうわけで、ともかく骨子だけの文章を思う通りに書いて、その人に適当な追加修正をしてもらって共著論文に仕上げるということになりました。
 いやまあ、TPP参加はボクも反対ですけどね、でもTPP反対の議論にあんまり反経済学が多いので辟易してるんですわ。
 反対集会とか日の丸いっぱいだし。「国益」とか「売国」とかうるさいことだし。なにやらずいぶんな右翼のTPP反対本が売れまくってるそうで。
 金子議員みたいな右翼が旗を振るリフレ論はダメダメ…って言ってた人はどうするんですかね。右翼だらけのTPP反対論はダメダメって言わんかいホレホレ(笑)。いや実際、ボクはそう言いたい気がしてくるのを抑えることができません。リフレ論がナショナリズムにつながる必然性は何もありませんけど、自由貿易批判はナショナリズムに直結してますから。
 ま、これが正月明けと言われています。もちろんまだ着手していません。

 そのうえ学会の編集委員会からは宿題いっぱい持ち帰ったし、しかも後援会の1月号機関紙の編集長の仕事もそろそろ始まりそう。18日は編集会議だし。

◆:性と景気
 ところで、3日の性感染症学会の報告は、かなりウケたみたい。
 女性の性感染症が、失業率と相関しているという『不況は人災です!』で見せたあれですけどね。『不況は人災です!』のフォローブログにもこんなグラフ載せています。(該当エントリー)
女性性器クラミジアと失業率の推移

 お医者さんがたは、考えつきもしなかった人が多かったみたいです。感染症が減っていたのは、キャンペーンの成果だろうかとか、減っているというデータ自体が信用できないとか言われていたようです。
 実は、グラフはこのあと、2009年には失業率が跳ね上がっているのですが、性感染症は逆にさらに減っています。それも見せたのですが、失業率が増えた後、性感染症が増えるまでには時間のズレがあるようです。1998年の場合にもそうでした。
 しかも、共同報告者の大阪の古林医師がご自分で見つけられたデータでは、大阪市の未成年女子の性感染症の場合では、2009年には増加しているとのことで、「おまけ」と言いながら会場でグラフを見せていました。

 ところで、この学会で聞いた興味深い話なのですが、コンドームの出荷数は減り続けているそうです。
 帰ってから調べてみたら、こんなホームページがありました。「下げどまらないコンドーム出荷数」
 このページのグラフは、まだ景気回復前の2002年で終わっていますので、性感染症が増え続けているグラフになっています。それで、著者は、コンドームを使わなくなっているから性感染症が増えているのだという結論に持っていきたいみたいです。でも、このページにはコンドーム出荷数のデータが2004年まで載っていて、やはり減り続けているんですね。このとき、性感染症はもう減りだしていました。だから、コンドーム消費の増減が性感染症の動きに影響しているわけではないのです。
 学会での話では、この出荷数減少が今もなお引き続いているということです。ボクもウェブ上でデータを探したのですが、年次時系列データは見つかりませんでした。薬事工業製品データの毎月のファイルはあったのですが、これを全部開いてコンドームのところを写していくのはとても大変そうなのでやってません。

 このついでに調べてこんなことがわかりました。まず、人工妊娠中絶の実施率の推移です。該当年齢階層女性人口千人あたりの1年間の件数ですけど。
中絶推移
(厚生労働省 平成20年度保健・衛生行政業務報告より作成)

 黒線が総数ですが、全体的に見ると、人工妊娠中絶は減少傾向にあることがわかります。
 しかし、ピンクのグラフは、20歳未満なのですが、見事、上の性感染症のグラフと同じ傾向になっていることがわかります。つまり、ほぼ全体的な失業率の動きと合っているというわけです。
 赤のグラフは20歳代前半ですが、減少傾向の中に、ピンクのグラフ同様の動きが混ざっています。

 さらに次のグラフ。児童買春被害女子の数です。警察庁の報告にあるものですけど、「被害」とは言え、自ら身体を売った人もいる(ほとんどそう?)数字です。
児童買春推移
(警察庁「少年の補導及び保護の概況」平成20年平成22年より作成)

 やっぱり、性感染症や未成年の人工妊娠中絶と同じような動きです。

 ちなみに、このグラフの失業率は、全体の男女計の失業率です。学会での大阪の未成年女子の性感染症グラフでも、いっしょに合わせて見せたのは全体の失業率です。この点について会場から質問があったのですが、15歳から19歳の女子の失業率は、他の年齢階層の失業率とは全く違って、景気と無関係な動きをしています。リッチもプアもみんな合わせた十代後半少女の失業率なのですから、失業率の分母の労働供給が、生活上の必要を反映していないわけです。遊ぶ金のために求職しているとかが多いわけです。それで、それとの相関は見られないわけです。
 実は、性感染症のグラフは、どの年齢階層でもほとんど似たような動きをしています。それで、全体の失業率と相関しているわけです。つまり、未成年の女子の性感染症の動きも、他の年齢階層の場合と同様、家計の困窮の度合いを反映しているのであって、やっぱり、お父さんが失業したら、娘も生活を支えたり、家庭が壊れたりするわけです。

 ところで、風俗産業自体の増減は景気とどう関係しているのでしょうか。
 この手の産業は、新しい業態が次々生まれて、生まれてしばらくは市場が成熟するまで勝手に伸び続けますので、そういう新しい業態のデータではうまく分析できません。
 それで、昔からある「個室付き浴場」まあ、要するに「ソープランド」とかの届出数の推移を調べてみました。
 そしたら、全く他の客商売一般と変わりませんね。風営法が05年に改正されて06年から施行され、規制が厳しくなりましたので、届出数は06年に激減しています。そこで、1997年から05年までと、06年から10年までに分けて、「第三次産業活動指数」と合わせてグラフにかくとこんなふうになりました。
個室付き浴場推移
個室付き浴場推移続
(警察庁「平成12年の犯罪」「平成22年の犯罪」より作成)

 基本的に合っていると思います。つまり、景気が良くなると業者が増え、景気が悪くなると業者が減るということです。

 以上のことを総合すると何が言えるでしょうか。コンドーム出荷数、人工妊娠中絶の全体の推移から推測できるのは、日本では、世の中全体の性交の数自体は一貫して減少しているということです。
 要するに、世の中の性交の圧倒的多数は、やっぱり夫婦かそれに準じる関係のもので、それは、少子高齢化による該当年齢層人口の減少とか晩婚化によって下げ止まることなく減っているということですな。一人当たり雇用者所得の長期低落傾向も影響しているのかもしれません。
 一方、正規の風俗産業の規模自体は、景気が良ければ増えるし、悪ければ減る。全く普通の客商売同様、人々の所得に依存して決まります。

 そうしたら、景気が悪くなって職も見つからず、生活が苦しくなったらどうなるか。ここで、セックスワークを始める女性たちのかなりの部分が「ゲリラ」ですな。つまり個人営業。特に、90年代後半からは、おりしも、ネットとか、携帯電話とかが普及したときなので、そういうケースが増えたということでしょう。景気が回復して職が見つかったりしたら、それをやらなくなるということですね。未成年女子の場合は警察ざたになったケースによって、その動きが直接観察されたけれども、上の年齢階層でも同じことが言えることが、人工妊娠中絶や性感染症の動きからわかります。

 なんだか医学の世界で注目されてきたようで、今度は、九月に大阪の泌尿器科の先生がたの前で講演しろというご依頼がきました。ありがたいことです。

◆:12月10日は田中正造直訴110年だった
 さて、この忙しいのに妊娠中絶だの児童買春だのと、不急のデータを調べたりして何やってんだという感じですが、このかん、新書原稿のために日本の初期社会主義関係の本を読んでましたら、前々回のエッセーでも触れた荒畑寒村という人間がおもしろくて。明治最初期の社会主義者の最若手で、1981年まで生きた人です。
 とても直情的なところがいいのですが、直情的と言えば大杉栄もそうですけど、あんなにかっこよくないの。

 大杉はかっこいい分ひとを傷つけ過ぎ。例の「日陰茶屋事件」なんかひどいよね。もともと大杉は、荒畑寒村といっしょに堺利彦の家に居候していたとき、堺の病死した前妻の妹をかなり強引に口説いて結婚していました。その後入獄だのなんだのして、この人にさんざん苦労させておきながら、フランス語を教えている生徒だった神近市子と恋愛関係に陥り、さらに今度は妻と別居して、人妻だった伊藤野枝と同棲しはじめます。それでとうとう葉山にある日陰茶屋という旅館で、大杉は神近市子に刺されて重傷を負う事態になってしまったんです。
 荒畑寒村によれば、神近は極貧の大杉のためにこれまでさんざん金を貢ぎ、新聞記者も解雇されて裸同然になっていたそうで、それなのに大杉が内務大臣後藤新平からもらった金で伊藤と葉山に出かけたと聞くに及んで、ついに短刀を持って二人を追ったのだということです

 寒村はもっと情が通ってるの。『寒村自伝』なんか読んだらともかく寒村、何かというと泣く泣く泣く。しょっちゅう泣いてばかり。
 漢文調風の誇張表現かと思ったら、やっぱり別の人の記録でも、堺利彦の死に際して号泣してたりします。晩年は90歳代になって片思いの恋煩いをして、瀬戸内寂照の前で泣いてるし。
 ときには、山川均と猪俣津南雄の対立を調停しようとしてうまくいかずに服毒自殺未遂するし。
 酒が飲めない甘党で、健康上甘いもの止められてるのに妻に隠れてむさぼってはこっぴどく叱られていました。この人がまたきっぷのいい姉さん女房で、「かつぼ〜」のスガさんに続いてまた年上かよ。だだっこで甘えていたいんだねってよくわかります。この奥さんは、歴代の尾行刑事をみな手なづけるわ、戦後共産党ワンマンになって後に失脚する徳田球一が、若い頃、口唇裂の子を抱えた妻を困窮のうちにほったらかしていたのに激怒してねじ込むわ(徳田は革命運動と称しつつ女遊びをしていた)、寒村が黙ってソ連に入ったら、自分が反対すると思ったのかと同志たちにねじ込むわと、なかなかの人物です。
 寒村は後にこの奥さんが中風で不自由になったあとにも、食事の準備とかの世話をさせたり、いらいらしてあたったりしたらしく、奥さんが死んだとき後悔してまたまた大泣きしています。そりゃ寒村泣くべきだ。

 山川均も荒畑寒村も、後の社会党左派につながる系統です。後年、山川死後、荒畑引退後のこの系統主流は、ソ連べったりの姿勢を強めていくのですが、山川はもうとっくにレーニン存命中からソ連には見切りをつけていたようなふしがあります。ソ連は国家資本主義だと言い、戦後、ハンガリー革命をソ連の戦車が蹂躙したときには、ソ連による過酷な搾取を民衆蜂起の原因にあげ、ハンガリーには社会主義も人民民主主義もなかったと言い切りました。
 その点では荒畑寒村も同様で、後年、自分の後輩筋の向坂逸郎率いる社会主義協会がソ連べったりになっていくのを厳しく批判していました。もともと戦前のスターリン時代からすでに、ソ連に対しては辛辣きわまりない評価をしていたのです。
 しかし寒村の場合は、かつてレーニンの死の直前の時期に密かに訪ソし、コミンテルン大会に参加したときに世話になった多くのオールドボルシェビキが、スターリンの粛清の犠牲になってしまったことへの個人的な怒りがかなり動因になっているようです。いいですねえ。こういう、個人的事情を臆面もなく理由にする姿勢が大好きですよ。

 そんなことでいろいろ目を通しているうちに、よせばいいのに寒村が若い頃書いた『谷中村滅亡史』にはまってしまったのですよ。この忙しいのに何やってんだか。

 例の足尾銅山鉱毒事件ってありましたよね。明治時代、この銅山の鉱毒で稲が枯れたり、煙害で山が禿げ山になって崩落したりして、被害にあった農民たちが幾度となく闘いに立ち上がってきました。リーダーの田中正造は有名ですね。衆議院議員になって何度も鉱毒問題を取り上げたのですが、らちがあかずに議員を辞めたあと、明治天皇の馬車の前に飛び出して直訴しようとして大騒ぎになりました。この直訴状は、当時の日本の社会主義運動の代表者の一人である幸徳秋水が草稿を書いたものです。

 足尾銅山のオーナー古河市兵衛は、政府から格安で銅山を譲り受けたのですが、外相にもなった元老睦奥宗光の次男を養子にし、後の社長古河虎之介は西郷従道海軍大臣の娘と結婚するという、ぐちゃぐちゃに癒着した閨閥関係。だから何が起ころうが政府は農民たちを冷たくあしらい、やがて買収とか脅迫とかで切り崩しをしていって、最後は鉱毒反対運動の中心の谷中村を遊水池に埋没させて、鉱毒問題を葬り去ろうとしたわけです。この谷中村の強制土地収用をした内務大臣原敬は、前年まで足尾銅山の会社の副社長だった…。
 しかも、銅は日本の工業化に不可欠と見なされ、軍用物資のためにも使われたものなので、鉱毒の犠牲者たちは国策として蹂躙されたのだと言えます。
 この強制土地収用にいたる足尾銅山鉱毒反対闘争の歴史を描いた迫真のルポルタージュが『谷中村滅亡史』です。

 これが、寒村の直情性が良く出た漢文調のすごい文章なんですよ。
 ブランキだのプルードンだのの19世紀の社会主義文献は、字の読めない仲間に字の読める労働者が読んで聞かせることを前提に書かれていると言われます。マルクスも主観的にはそのつもりで書いていたかもしれませんが成功しているかどうか知りません。エンゲルスはそのことを意識していたと思います。
 日本のこのころの文章もそうですね。昔「ああ野麦峠」の映画で、字の読める女工が宿舎の相部屋で仲間たちに『金色夜叉』を読み聞かせているシーンがありました。ああいう漢文調の文章は、声に出して読むためにあるのだと思います。

 これこそ声に出して読みたい日本語です。みなさんも是非やってみて下さい。ときどき扇子でパンパンってやって(笑)。
 読んでいるうちに、何もかも原発の犠牲や、東電資本や政府のやり方と重なって、百年たってもなんにも変わらない光景にマジ泣けてきます。本当です。

 この12月10日は田中正造の直訴110周年だったんですね。あとで気づいた。
 この機会に反原発イベントのひとつとして、朗読会でも開いたらよかったのに。ウケたと思うわ。

あゝ厚顔無恥、冷血無情なるものよ、汝の名は日本政府なり──弁士中止!


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