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私の主張5:民族自決に反対せよ


 ほんの10数年前までは、アメリカなどの工業大国が発展途上国に圧力をかけると言えば、腐敗した独裁者を押し付けてきて現地の人権を蹂躙し、労働運動を弾圧させて多国籍企業の搾取を助けるというのが通り相場であった。このような時代には、かかる抑圧と闘う現地民衆が、内政干渉反対と民族自決を叫ぶことは、誰が見ても正義であった。

 ところが今日、相変わらず、いや、ますます、アジアなどの発展途上国の独裁政権は、人権を蹂躙し、労働運動を弾圧して多国籍企業の搾取を助けているが、内政干渉反対や民族自決といった言葉は、いまやこの圧政者自身の口から出ている。そうして、欧米諸国が今度は民主化や労働条件の改善を求めて圧力をかけてくるのに対し、反論しているのである。たしかに、欧米政府がこのように言い出したのは自分達の都合によるのであり、途上国民衆を心から心配して言っているわけではないだろう。しかし、だからといって、仮にも進歩派を自称してきたような勢力が、先進大国の支配に反発するあまり、「アジアにはその国のやり方がある。欧米の価値観を一律に押し付けてはいけない」などと言って途上国政府の側を擁護することは、現地で実際に抑圧の犠牲になった人々や、困難な状況下で命懸けの民主化運動や労働運動を担っている人々からすれば、「自分は一定人権を守られた安全な立場にいながら、苦労している我々への支援を拒み、結果的に多国籍企業本社の利益を擁護している奴ら」と映るだろう。

 そもそも、ベトナムのカンボジア侵略なしにポル・ポト政権の大虐殺を止めることができただろうか。マルコスの打倒も韓国の民主化も、アメリカの圧力なしにはもっとはなはだしい犠牲を要したのではないか。チャウシェスクがソ連の圧力に屈しておれば、ルーマニア革命に流血は不要だったのではないか。ウガンダの虐殺政権が倒せたのはタンザニア軍のおかげではないか。アメリカの圧力なしにはチリのピノチェトはいつまでも居座ったのではないか。国際世論の圧力なしにアパルトヘイトは撤廃できただろうか。欧米の圧力なしには、ビルマの軍事政権はすぐにでもスーチー女史らを処分するだろうし、無効にした選挙自体、そもそも実施しなかっただろう。しかも、旧ユーゴで、旧ソ連で、世界中至るところで噴出している血で血を洗う民族紛争は、「民族自決」をスローガンに掲げてなされているではないか。

 従来、民族自決を主張することはマルクス主義者の常識のように考えられてきた。しかし、もともとマルクスもエンゲルスも、無条件で民族自決を擁護していたわけでは決してない。マルクスはインドが一旦イギリスの植民地にされたことを、進歩として評価していたし、エンゲルスはオーストリア内少数スラブ民族が消滅することを望み、アメリカがメキシコからテキサスやカリフォルニアを奪ったことを喜んでいた。先進国における民族主義は決して評価されず、「労働者は祖国を持たない」として、国際的団結が追求された。

 二人が民族自決を擁護したのは、当該の後進国が次の二点のどちらかにあてはまった場合に限られる。

  1. その民族の独立により、資本主義の発展が見込まれる場合。
  2. その民族の従属により、支配民族で労働貴族が発生している場合。
第1のものは、ポーランドやセルビアや1850年代当時のインドである。第2のものは、アイルランドである。

 二人の認識によれば、資本主義の発展は長期傾向的に世界の普遍化をもたらす。それによって普遍的プロレタリアートが作り出され、彼らの国際的団結ではじめて社会主義的変革が可能になる。したがって、資本主義による世界統合を引き受ける立場に立つことは、マルクスの大原則である。とはいえ、ある後進民族でブルジョワ的発展の条件が熟しているのに、大国への前期的従属のせいでその発展が押しとどめられている場合には、こうしたくびきを脱して新たな一大国民経済を作り出すことが、資本主義の発展を促し、ひいては将来の社会主義的変革へとつながることになる。そこでこのような民族の独立は支援しようというのが上記第1の論点である。ところが、資本主義の無意識性自然発生性のために、世界の普遍化の長期傾向は、短期的には常にそれに逆行する形態を通じて現われる。それゆえ、資本主義の拡大のためにかえって後進国の前近代的システムが強化され、人々が普遍化するのではなくて逆に階層分裂してしまうということも、短期的にはあり得る。当時のイギリスではアイルランドからの収奪のために、労働貴族が厚い層として発生しており、労働運動の革命性は失われてしまった。そこでこのような場合には、収奪対象となっている民族を独立させることで、労働貴族の経済基盤をなくし、労働運動を革命化させなければならない。これが上記第2の論点である。

 20世紀に入って帝国主義の時代が始まると、マルクス主義陣営内ではこの新たな状況を反映して、バウアーやルクセンブルクが上記第1の論点の延長線上に、レーニンが上記第2の論点の延長線上に民族理論を展開し、論争を繰り広げることになった。資本主義のもたらす生産力の発展の結果、社会的総労働のまとまりは国民経済の枠組みを超え、いまや大征服国家の領域にまで拡大した。バウアー・ルクセンブルクはこれをふまえ、大征服国家を解体することは資本主義のもたらした生産力を後退させるがゆえに、社会主義的方向からの逆行になるとして、民族自決に反対する論陣を張った。そして、政治的経済的同化の後にも残る民族の文化的その他の差異については、社会主義においても開花すべき個性と考えて、民族自治を主張した。それに対してレーニンは、民族自決権を、マルクス主義陣営でははじめてひとつの権利にまで高めて擁護する一方、民族自治論に対しては、民族主義への譲歩であり日和見主義であるとして激しく反対した。つまりレーニンの主張を一言で言えば、「独立か、さもなくば同化か」ということになる。

 両議論の違いの背景にあるのは、帝国主義をもたらした当時の資本主義の段階構造についての認識の差であると思われる。バウアー・ルクセンブルクは、マルクスの認識と同様の同質的資本主義の拡大の量的延長で帝国主義をとらえていた。それゆえ征服国家内では競合する同質の労働者が生み出されるので、彼らの普遍的団結によって革命的階級闘争を闘うことが展望される。ところが実際には、帝国主義をもたらしたのは、重工業化を基盤にできた全く新しい独占段階の資本主義だったのである。「私の主張4」で述べてあるように、独占段階以降は、資本主義が世界を普遍化する傾向は退き、逆に人々を異質化するようになった。つまり、マルクスやエンゲルスがすでに認識していた資本主義の長期傾向に対する短期的逆行が、いまや長期化、恒常化する事態になったのである。征服国家内では先進国に重工業部門などを置く一方、後進国には鉱山やプランテーション、軽工業などの部門へ資本輸出し、両者の間の労働構造は直接競合しない異質なものになる。それゆえ、後進国からの収奪によって先進国労働者に相対的高条件を保証することが可能になる。だからここでは、上述のマルクス、エンゲルスの論点の2番目のものが適用されることになる。これがレーニンの主張だったのであり、従属国、植民地を独立させることで、先進工業国全般の労働運動に発生した日和見主義、修正主義の経済的基盤をなくし、もって先進国労働運動を再革命化することが目指されたのである。民族自治反対の論点も、現実の一国内の民族的差異は、経済的に異質な階層的労働構造をもたらしているために、これを同化して全労働者の団結が可能なようにする必要があったからだと考えられる。

 したがって、民族自決の主張は、20世紀の独占資本主義、国家独占資本主義の時代において、はじめてマルクス主義の原則的スローガンとなり得たのである。

 ところが現在、「私の主張2」「私の主張4」で述べたように、国家独占資本主義の時代が終わり、世界的自由競争資本主義の時代が始まろうとしている。いまや大征服国家の領域をもはるかに超えて、全世界がひとつの経済単位として現われる時代がやって来た。そしてこの資本主義は、諸資本の未曾有の大競争を通じて、19世紀に見られた世界の普遍化を、再び長期傾向的にもたらすようになった。ME化の結果、いまや発展途上国においても、かつては先進国だけで生産できたような高度な工業製品、自動車、鉄鋼、造船、テレビ、VTR、コンピュータ等々が続々と作り出され、世界市場を席巻するようになった。そのため発展途上国の収奪が強化されることは先進国に労働貴族層を作り出すどころか、競争力のある安い製品の流入や工場の移転を通じて、先進国の労働者の雇用を直接脅かし、結局労働条件の低位標準化の圧力を世界中にかけていく。後進国の前近代的体制も規制の多い強権国家も、資本の全世界的展開にとって邪魔になり打ち倒されてきている。

 それゆえマルクス、エンゲルスのもともとの論点が今日規模を大きくして当てはまることになる。すなわち、バウアー・ルクセンブルクが大征服国家について言ったことが、全世界を単位にして言えることになるのだ。要するに、今日では世界統合の推進こそが社会主義へ向けた進歩なのであり、民族自決は原則として否定されなければならない。もちろん例外もあるが、それは、マルクス、エンゲルスのオリジナルな論点にそって判断されなければならない。例えば上記第1の論点にしたがって独立が支持されるものには、中国の共産党独裁が未崩壊の間の台湾や香港がある。第2の論点にそって判断すべきものには、日本の支配層の一部が目論む東アジア経済圏構想があり、それが日本国内の産業構造を「高度化」させ、途上国の製造業からの搾取で労働貴族を作ろうとするものである以上、いかに国際統合とはいえ反対すべきである。

 そして、今日の生産力が要請する経済的政治的統合がなされた後にも残り得る文化的その他の民族差異は、個性の一種として将来の社会主義において開花すべきものであるから、これを資本主義の抑圧的画一化の圧力に抗して発展されるためには、バウアーらの唱えた属人的原理に基づく民族自治が追求されるべきだろう。これは、これからの社会主義運動の中心である非営利・協同ネットワークの一環たる、個人を埋没させない開放的な民族自治団体として発展させていかなければならない。

詳しくは、拙稿「民族自決はなぜ善だったのか」、『政経研究』1997年を参照。拙著『近代の復権』第4章に所収している。(「著書」

 

 

 

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