松尾匡のページ

 用語解説:ソ連=国家資本主義論


【ソ連型体制の特徴】
 ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)とは、現在のロシアなど15カ国の領域にあった国で、世界で最初の「社会主義国」と自称していた。その社会体制はざっと次のような特徴を持っていた。

 かつては、ソ連の軍事力や影響力のもと、このような体制が多くの国々に広げられたことがあった。それは、東ヨーロッパの、東ドイツ、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、アルバニア、ブルガリアの7カ国の他に、モンゴル、中国、北朝鮮、キューバ、ベトナム、ラオス、カンボジアの、計14カ国に及び、ガーナ、モザンビーク、アンゴラ、エチオピア、南イエメン、アフガニスタンといった国々でも、こうした体制を目指す独裁政権が打ち立てられたことがあった。
 こうした社会体制のもとでは、反体制運動は厳しく抑圧される一方、国を支配する共産党の幹部は様々な特権を享受していた。やがてこれに対する市民の不満が爆発し、1989年には東ヨーロッパの国々で次々と共産党政権が崩壊、1991年にはソ連でも共産党体制が倒され、またたく間に「社会主義国」と自称する国は、中国、北朝鮮、キューバ、ベトナムの4カ国だけとなった。うち北朝鮮以外の3カ国は民間企業の設立の自由化を進め、中央計画経済もやめてしまって自由に商売できるようになってきているので、今日ソ連型の社会体制を残す国は北朝鮮1カ国のみとなっている(ここも市場化改革が始まっている)。(もっとも、旧ソ連の国の中には、「社会主義」と名乗るのをやめただけで、ソ連時代とあまり変わらないような独裁体制が続いている国もあるが。)

【「社会主義」と名乗っていた根拠】
 ソ連では、上記のような経済体制をもって、「社会主義経済が実現された」と称していた。それは、アメリカや西ヨーロッパや日本で見られる「資本主義経済」とは別のものであって、資本主義経済よりも進んだ経済体制なのだと言っていた。
 資本主義経済とは次のような特徴を持った経済である。

 実際には、市場経済でライバル達と競争してやっていけるだけの機械や工場をそろえようとしたら、莫大なお金がかかってしまう。だから、生産手段を私有している人は、本当はごく一握りしかいない。圧倒的多数の人は、土地も店も工場も、およそ何も生産手段をもっていないので、食べていくためには、生産手段を持っている人のところで雇われて、その命令を聞いて働いて、見返りに賃金をもらって生活するしかない。そんな人がいっぱいいて、職にありつけない人が必ずでてきてしまうのだから、雇う側の人は利潤をあげるために賃金をケチることができる。だから、雇われて働く圧倒的多数の人々は、自分達の一生の生活のために賃金を使い尽くしてしまう。つまり、お金をためてやがて機械や工場を買って自分で商売を始めるということができなくなる。
 競争のためにどんどん技術進歩が起こっていくと、小さな安い機械や工場ではますます役にたたなくなるので、ビジネスを始める時に必要な元手のおカネはますます巨額になっていく。だから一旦雇われ人になった人が自分で商売を始めることはますます難しくなっていく。しかも、今まで比較的小さな生産手段で商売していた人々が競争に負けて、次々とただの雇われ人になり、生き残るのはますます一部の大きな企業だけになっていく。
 かくして資本主義経済では、世の中が、生産手段を私有している少数の人々(=資本家階級)と、生産手段をもたないために他人に雇われてはじめて食っていける人々(=労働者階級)との二大グループに分裂することになる。
 ソ連の政府公式の説明によれば、資本主義経済では、必ず不況や恐慌のような経済変動、それに伴う倒産、失業、さらには貧困、不平等といった様々な害悪が起こってくると言う。なぜなら、資本主義経済では企業は一部の資本家の私有物で、その資本家達は各自が自分だけの利益のために経済活動を行っているからである。だから賃金はできるだけケチって利益を伸ばそうとするし、社会全体の役に立つかどうかわからないまま、ただやみくもにお金もうけのために生産がなされたりする。その結果、社会の必要以上にものを作り過ぎたり、社会にとって有害なものが生産されたりする。社会の必要以上にものを作り過ぎると、値崩れしてもうからなくなり、倒産や首切りが起こる。結局いつも弱い労働者にしわ寄せがいく。
 ソ連の政府公式見解によれば、ソ連ではこのような問題は根本的に解決されたと言っていたのである。それはなぜか。彼らの説明によれば、ソ連では生産手段は一部の人の私有物ではない。国全体のものになっている。だからそれぞれの企業がばらばらに自分だけの利益を求めて生産することもない。国全体のことを考えて一番都合のいいように生産を計画している。作り過ぎて売れ残るような無駄もない。国全体で効率的に仕事を配分するのだから失業もない。生産手段を私有する資本家階級というものはいなくなったのだから、もはや階級はない。みんな平等の世の中になったのだ。…このように言っていた。

【法律で国有とすればみんなのものなのか】
 しかしその実態はどうだっただろうか。
 圧倒的多数の一般市民が、いつも生活に必要なものに事欠き、長い行列を待ってやっと入手できるかどうかという生活をおくっていたのに、一部の共産党幹部はあふれる特権を手にしていた。幹部用の特別の配給、食堂、アパート、別荘、病院、保養所があり、公用車を私用し、駅では貴賓室で待ち、特別の車両に乗っていた。子息も幹部用の特別の保育所から特別の学校に行き、結局また共産党の幹部になった。それに対して、一般労働者市民は、企業経営に関しても経済計画策定に関しても、口出しをする機会はなく、劣悪な労働条件の改善を求めて立ち上がった時には、いつも銃口が突き付けられた。
 素朴な実感からして、資本主義経済と同じように「階級」があるのは明らかである。世の中が共産党の幹部たち支配階級と、一般の労働者階級との二大グループに分裂し、一般の労働者階級は資本主義経済と同じように、支配階級に支配され搾取されてはじめて生きていける。そうなっているのではないか。
 ところがソ連公式見解ではそうではないと言う。ソ連の共産党幹部は、生産手段を私有しているわけではない。生産手段はあくまで国のものである。だから彼らは支配階級とは言えないのだと言う。
 しかしでは「私有」って何なのだろう。法律の制度で「私有」と認められれば私有なのだろうか。マルクスもエンゲルスも、所有とか生産関係とかを法律上の形式で判断してはならないと、何度も書いている。法律というのは、マルクス主義の言葉では「上部構造」に属し、本当の経済の実態を都合よく正当化するための観念である。だからときどきウソをついたり、実態を素直に反映できなかったりもする。だからマルクス主義では、法律でどう決まっているかではなく、社会の「土台」である生産関係の実態を分析しなさいということになっている。
 だから機械や工場が私有されているということを、法律制度上どう認められているかということから判断してはならない。経済の実態がどうかということから判断しなければならない。すなわち、機械や工場がある一部の者の私的な判断にしたがってのみ使うことができ、他の人々がその使い方について口を出すことができないこと。この原則にしたがって現実の経済の実態が動いている時、その機械や工場はそれの使い方を決める人々によって事実上私有されているのである。経済システムの本質を判断する時には、この「事実上」というのが重要なのである。
 だからいくら法律で企業は「国有」だと書いてあっても、その運営が一部のグループの人達だけによって決められ、他の人々が事実上口を出すことができないならば、その実態は「私有」なのである。法律上は自分の私有物ではない生産手段を、事実上私有する支配階級というのは、何もソ連型体制の共産党幹部だけではない。例えば中世のカトリック教会領は、別に教会幹部達の私有物ではないはずだが、教会幹部達は教会領を事実上私有する領主階級として扱われてきたはずである。そこに暮らす農奴は、伯爵達の領地の農奴と同様に、賦役や貢納で搾取されていた。また、日本では次のような例があったことは誰でも知っているだろう。(次の項目へ飛ぶ)

法律上生産手段を私有しない支配階級の日本における例1:律令制
 奈良時代の日本では、「公地公民」と言って、土地と人民はすべて天皇のものということになっていた。それ以前のような、蘇我氏だと大伴氏だのといった豪族が土地を私有することは禁止になったのだ。要するに土地を国有化したということだから、それで階級のない社会主義が作られるものならば、日本はすでに千数百年も前に社会主義を経験した、大化改新は世界最初の社会主義革命だったということになってしまう。
 ところが実際にはもちろんそんなことはないのであり、一般人民が「租庸調」を負担させられて、しばしば飢饉に見舞われながら、山上憶良の貧窮問答歌に見られるような悲惨な貧困と搾取にあえいでいた一方で、奈良の都の貴族達は、珍獣珍鳥をペットにして、山海の珍味を食する贅沢な毎日をおくっていたことが発掘で明らかになっている。貴族達は、ほとんど趣味か妄想としか思えないような思いつきで、大土木工事や大寺院建設を計画したが、それに無理矢理かり出される区分田の農民達はそうした計画に一切口を出せるわけはなかった。
 明らかに奈良の都の貴族達は支配階級なのであり、一般人民を搾取して生活していた。誰でもそのようにみなしてきたはずである。しかし、法律上の形式にこだわる限り、奈良の貴族は生産手段を私有しないから支配階級ではないということになってしまう。

法律上生産手段を私有しない支配階級の日本における例2:戦後の経営者
 第2次世界大戦後の日本では、株の大半を個人が私有することで会社を支配しているようなオーナー型の大会社は、大正製薬、ブリジストン、鹿島建設などのごく少ない例外を除き、ほとんどなかった。圧倒的多数の大企業は、株を企業どうしで持ち合いしていた。
 したがって、日本の大企業の経営者は、自分自身はほとんど自社の株を所有していないにもかかわらず、自社を経営していたことになる。あの松下電器に神のように君臨していた松下幸之助氏にして、自社の株の3%未満を持つに過ぎなかった。大企業の平均では、役員全員あわせても、自社株の1.6%程度しか所有していなかった。彼らは、株を持っている別の誰かに動かされていたわけでもない。おおかたの株はグループ企業どうしの持ち合いで押さえてあって、個人株主が総会で何を言おうが、株を売りに出そうが影響ないので、株主のことを気にせずに、好きなように経営できる。もし、法律上の形式だけで議論するならば、戦後日本の大企業の経営者は生産手段を私有していなかったから資本家ではない、支配階級ではないということになってしまう。
 しかし実際にはもちろんそんなことはなかった。日本の大企業の経営者は、公式の所得こそ欧米のオーナー企業の億万長者と比べて低かったが、実際は会社の金を自分の個人的な目的のために私用する膨大な特権を持っていた。会社の金で交際費と称して飲み食いし、会社の車で会社が会員になっているゴルフ場に行き、会社の金でグリーン車に乗り、政治献金も思うまま、ろくに株を持っていないのに子息が入社するととんとん拍子で出世して後継者になる。戦後日本では、「ワンマン」と言われる独裁経営者が、オーナーでも何でもないサラリーマンのくせに、思いのままに会社を私物化する例が後をたたなかった。
 これでも日本の経営者は支配階級ではないと言えるのだろうか。もちろん日本の労働者はそうは言えないと思ってきた。だからこそ経営者達を向こうにまわして階級闘争を闘ってきたのだ。彼らは、日本の経営者を、どんなに株をもっていなくても、資本家階級だと言ってきた。そして自分達は彼ら経営者側に搾取されているのだと言ってきた。そもそもまさに「ソ連の共産党幹部は支配階級ではない」と言っている当人達自身が、こうした、無所有のサラリーマン経営者をも支配階級とみなす見方を、労働者達に教えてきたのではなかったのか。

【生産手段共有の実体はなかった】
 生産手段を国有にしたからみんなのものなのだと言えるためには、人民大衆がみな、経済運営の意志決定に参加して、民主的合意の上で労働するのでなければならない。しかし、ソ連型体制の国では、どこでもそんな実体はなかった。
 ソ連では、「企業長単独責任制」が企業経営の原則とされ、上から任命された企業長が企業内の全権限を持つものとされていた。一般労働者は企業運営について口を出す機会はなかった。もちろん、企業長を選ぶことも辞めさせることもできなかった。
 全社会的な経済計画についても同じである。計画策定段階で意見が聞かれるのは企業長のレベルまでであって、一般労働者が意見を言える機会はなかった。作られた計画は、一応最高会議で採択されるものの、質問も意見もでないわずか二日の会期の会議で儀式として「承認」されるだけである。第1次五カ年計画も第2次五カ年計画も開始後の事後承認だったし、農業集団化のような重大事が審議されてもいない。
 しかもその最高会議は全国民から選挙された最高機関とされているが、この選挙というものが全く茶番だった。言論・結社の自由が認められず、共産党幹部を批判することを言ったならば秘密警察に捕まってしまうようなところでは、もともと公正な選挙など期待できはしない。その上、各選挙区の立候補者は共産党の推薦する一人しか認められず、有権者は、あらかじめその候補者の名前が印刷されている投票用紙を、受け取ってすぐ投票箱に入れれば「信任」したということになる。不信任したければわざわざブースに行って名前を抹消しなければならないのだが、そんなことをしたらもちろんすぐバレてしまう。あとでどんな目にあうかわかったものではない。だから候補者はみな百%の信任率で信任されるのだが、ほとんどの有権者は自分の所の代議員の名前も顔も知らないという状態だった。こんな代議員達の会議で承認されたからといって、一般人民が計画決定に参加したということにならないことは言うまでもない。
  マルクスやエンゲルスには、「共同の私的所有」という言葉がある。『ドイツイデオロギー』という著作の中に出てくるのだが、直接には、古代スパルタのように、ある共同体が、別の部族を占領してまるごと奴隷にし、その土地とともに共有物にする例を指している。関係当事者のうちの一部だけで物事を決め、他の人々が決定から排除されるなら「私有」なのであり、その決定が個人的に行われるのか共同でなされるのかは「私有」かどうかには関係ないのだ。ソ連型体制における生産手段は、「ノーメンクラツーラ」と呼ばれる共産党幹部の人々によって、「共同の私的所有」にされていたのである。

【ではソ連型体制とは何なのか】
 マルクスの唱えた共産社会とは、個々人が対等に連合した階級のないアソシエーション社会である(用語解説「アソシエーション論」参照)。この共産社会の第1段階を指して、後年レーニンが「社会主義社会」と呼んだ。マルクスなりレーニンなりの流れとは別の系統の社会主義者も、階級のない社会を目指して「社会主義」と言っていた。ところがソ連型体制は実際には、生産手段を事実上共同私有するノーメンクラツーラ階級が支配する、れっきとした階級社会であった。それゆえ社会主義の本来の意味からすると、ソ連型体制は社会主義体制ではなかったということになる。
 ではソ連型体制は何だったのか。「階級のないちゃんとした社会主義だった」というものまで含めると、これまでざっと次のような説が出されてきた。

 私達がここで検討したように、生産手段を国有にしたからといって、ソ連型社会が階級のない社会であったとする理由にはならない。やはり何らかの階級社会であったと見るべきである。とすると、上であげた五つのうち、「国家資本主義説」か「別種の階級社会説」かどちらかが適当だということになる。

【ソ連=国家資本主義論の論拠】
 ソ連=国家資本主義論は、ソ連型体制は階級社会であったばかりではなく、本質的に日本やアメリカと同じ資本主義体制だったと考えている。
 もちろん、日本やアメリカのような西側諸国の資本主義とはずいぶんとタイプが違う。国家によって市場が強力に押さえ付けられていた。資本主義本来の姿は市場で自由にビジネス取り引きする世の中なのだから、それからするとかなり本来の姿からはずれていることになる。それなのになぜあえて「資本主義」と言わなければならないのだろうか。
 それはやはり、資本主義以外の階級社会、すなわち封建社会や奴隷制社会や古代大河文明のころの社会と比べると、やはりソ連は決定的に違うからである。むしろこれらの前近代の階級社会よりは、資本主義に近い本質を持っている。それは何かと言うと、前近代の階級社会では、支配階級の胃袋を越えて搾取が強化されることは基本的にはなかった。それに対して、資本主義経済の支配階級である資本家は、自分の胃袋が満たされても、いやそれどころか自分の消費を押さえまでして、労働者から搾取して機械や工場を膨らませていくのである。労働者の消費を押さえて無理矢理働かせることで、労働者自身の意のままに動かせない、資本家の判断だけで動かせる機械や工場が、当の労働者達の意図を離れて、勝手に拡大発展していくのだ。これが「資本」である。
 1930年代や40年代、独裁者スターリンの時代のソ連で起こったこともまさにこれである。スターリンとその一党は、もちろん十分贅沢で旺盛な胃袋を持っていたが、彼らが秘密警察のテロの力で全人民から取り立てた搾取物の際限なさから見れば、すぐ満たされるちっぽけなものだった。では人民からの搾取で何が作られたのか。彼らは、農民に食うや食わずのぎりぎりの穀物だけ残し、ときどき大量飢餓にまで追い込んでおきながら、残りを取り立てて収益率600%もの高値で売って、その利鞘を資金にして次々と工場を建設した。労働者も低賃金のもとで、年々引き上げられるノルマに酷使され、「10分遅刻すればシベリア送り」と言われる労働強化を受けた。多くはささいな言いがかりで運悪く強制収容所に送られた者は、約二千万人にものぼり、そのうちすぐに殺されなかった者は、奴隷的な囚人労働を強制された。これによって、酷寒のシベリアの凍土に、続々と鉱山町が生まれていった。こうやって大工業が建設され、遅れた農業国だったロシアは、世界第2位の工業国にまで急速にのしあがったのである。
 ではこうやって建設された工業設備を、ソ連の人民大衆は合意でコントロールできたかというと、先に見た通り全くそんなことはできなかった。世界第2位の工業を作っておいて、それが大衆の消費をどれだけ豊かにしたかというと、同時期の西側諸国とは最後まで比べものにならなかった。結局、人民大衆は、自分自身の自由にならず、その成果を自分が享受することもできない機械や工場を作るためにこき使われ、そうした機械や工場が、人民大衆の意図を離れて自己目的的に勝手に膨らんでいったことになる。まさにこれは「資本」と呼ぶべきものではないか。

【ソ連に存在した市場】
 しかも、いかに国家が押さえ付けているとは言え、ソ連にはまぎれもなく市場が存在していた。まず、誰も「なかった」とは言えない明々白々な市場関係がある。その一つは、ソ連国家そのものと人民大衆との間。もう一つは、ソ連国家と外国との間である。

 さらに、実際のことを言えば、国営企業どうしの間でも商品流通はあった。最も厳しいスターリン体制のもとでも、企業は独立採算だった。企業長は計画当局から生産資材が自動的に送られてくるのを待っている存在ではなかった。ありたけの人脈を伝って資材を調達してくるのが仕事だった。労働力も企業が直接求人し、各企業が直接に労働者個人との間で雇用契約を結んでいた。いやそもそもスターリン時代の農民からのすさまじい搾取自体、直接の徴発もあったけど、それと並んで、機械トラクターステーションがコルホーズ(集団農場)にトラクター等を貸し付けたリース料の形で不等価交換してきたもので、こうして安値で得た小麦を国営製粉企業に高値で売るという商品交換によって、工業化の原資が作られたのである。
 その上、ヤミ経済の存在を忘れてはならない。ヤミ経済の規模については、公式経済の1割とも四分の一とも言われているが、それがなければ国の経済が一日も成り立たないものだった。当然これは市場経済である。

【ソ連=国家資本主義論の三つの世代】
 このように、ソ連型体制を特殊な資本主義体制と考える国家資本主義説であるが、その中でも時代によって、次のように大きく三つの世代に分かれるように思う。

【でもやはり必然だった】
 私はこの中では第2世代に属することになるが、第3世代によって提起された問題を避けるわけにはいかないと思う。
 私は、本源的蓄積のための体制というもの自体、もともと国家の介入が強くなるものだとは言え、その時代時代の世界経済全体の進化の段階によって、その国家介入の強さが変わってくるものなのだと思っている。だから、資本主義の自由競争時代につながるイギリスの重商主義体制よりは、独占資本主義段階につながるプロシアや日本の明治維新体制の方が国家統制の度合いは強くなる。世界中で自由競争が復活している現代資本主義につながる本源的蓄積体制、つまりNIEs、ASEANや改革開放後の中国の開発独裁体制になると、比較的国家統制が少なく、市場に任せる部分が多い。ソ連のスターリン体制の場合は、世界中が、国家独占資本主義時代、つまり、国家が経済に対して様々な管理介入を行う時代に向かっていた。つまり、本源的蓄積段階と国家独占資本主義時代という、共に国家を強くする二つの条件が重なったから、あのような究極の国家強権体制が出来上がったのだと思っている。
 それゆえ、もともとあの1930年代のロシアでは、たとえ明治維新体制程度にでも国家統制を緩める選択肢はなかったと思う。残念で、やりきれないことではあるが、たとえスターリンがいなくても、たとえ内戦で共産党が負けていたとしても、農村から過酷な搾取をして、それを元手に国営で大工業を建設し、この過程を独裁的な政府の指令で強引に遂行するという体制に変わりはなかったと思う。国営である以上は、市場原理によらずして、この仕事に人々を駆り立てる仕組みがなければならない。だから一方では言う通りに働かない者への恐怖の厳罰と、他方では政府の言う通りの成果をあげた者への出世のごほうびを与えることが、どうしても必要になるのである。すなわち、粛清と特権である。

【でもやはりあそこまでいく必要はなかった】
 しかし私も、実際にできあがったスターリン体制ほどにまで、残酷きわまりない体制になる必要は、たしかになかったと思う。やはり取り得る体制のバリエーションには、若干の幅があったと思う。体制に反対する勢力が、さほど影響がないぐらいにまで押さえ込まれたとしても、なおも細々としぶとく存在し、政府の行き過ぎに対して抵抗のたたかいが常にたえることがない状態が、本来望ましかったはずである。
 なるほどたしかに1930年代のロシアのおかれた状況のもとでは、国営・指令の国家強権体制以外にあり得なかっただろう。本源的蓄積段階と国家独占資本主義という二条件があわさったもとでは。しかし、いつまでもその条件が続くわけではない。本源的蓄積を卒業して一人前の工業国になったならば、あるいは国家独占資本主義の時代が終わったならば、それにあわせて体制も変わらなければならない。そのとき、その体制変革はどのようにしてもたらされるのだろうか。
 体制の基本的な仕組みとして、強権に守られた特権階級がどうしてもできるのである。そうしたならば、実際に世の中を治めているこれらの人々が、これまでの体制を成り立たせていた条件が変わったからといって、自分達の特権を脅かすことになるかもしれない体制変革を自分からしようとするだろうか。絶対にスムーズにいかないだろう。条件が変わったことにあわせて世の中がスムーズに変わるためには、その十分前から、将来の変革のためのアイデアの候補として、様々な方向性を持った反体制的な勢力が、社会のマイナーな領域に存在していなければならないのである。そしてそのような勢力が、まだ十分体制がうまくいっているときから、陰に陽に体制側とのたたかいを続けていなければならない。そうしてこそ、体制が行き過ぎて無用な犠牲者がたくさんでてしまうのを防ぐことができるのだし、条件が変わって体制の寿命がつきたときに、スムーズに替わりのやり方を広げることができるのである。

【社会主義者が「歯止め」の役割を果たさなかった問題】
 ところが現実のスターリン体制は、わずかの異論も一切許されない、史上空前の独裁体制だった。いつ何時あらぬ疑いをかけられて、拷問の末殺されるかも知れないと、誰もが毎日おびえていた世の中だった。だからこそソ連は、おびただしい生命の無用な犠牲と、資源の無用な浪費と、無用な自然破壊を、何度もくり返したのだが歯止めがなかった。世界第2位の工業を建設して世界で最初に人工衛星を飛ばし、とっくに本源的蓄積の条件は卒業しても、いつまでたっても新条件にあわせた体制転換をすることができず、長い経済停滞の中に沈み込んでいった。もし体制に反対する潮流がわずかでも生き残っていれば、これらの犠牲のいくらかはなくてすんだだろう。
 本来、このような反体制的な潮流の中心になるべきものは、社会主義的な労働運動である。とりわけてマルクス主義者こそがそれを担うべきである。1930年代のロシアでは、国家資本蓄積の機能を担う人々が政治権力を握ってしまうことはたしかに避けられないのだが、マルクス主義者はその強搾取と強蓄積に対抗する労働者の階級闘争を作り出すことによって、強搾取と強蓄積の行き過ぎに歯止めをかける歴史的機能を役割分担しなければならなかったのだ。
 ところがあろうことかソ連では、強搾取と強蓄積を担う張本人の側が「マルクス主義」を名乗っていた。反対側のマルクス主義者は絶滅され、後の世に至るまで反体制運動に影響力を持つことはできなかった。
 なぜこんなことになってしまったのか。ロシア革命で権力を握った社会主義者達が、権力の座にあっても労働者達の利害を反映する政策を愚直に取り続けていたならば、たとえ反革命に権力の座を追われる運命だったとしても、その後、労働者階級の中で社会主義運動の影響力は弾圧をくぐり抜けて根強く続いただろう。ところがレーニン達革命政権が選んだのは違った。権力を握るときこそ、土地と平和と職場の支配権を求める労働者・農民の意志を反映して支持されたのだが、その後選んだのは、秘密警察と軍隊の暴力に依拠して何が何でもともかく権力を維持することであって、労働者の要望を聞いてその支持に依拠することではなかった。むしろ労働者からの反発を強引に押さえ込むことに躊躇しなかった。その結果、革命政権は、外側からの軍事的反革命をはね返すにはめっぽう強くなったが、その同じ仕組みによって、内側からの変質・乗っ取りという反革命には非常にもろくなってしまった。
 革命政権の内側からの変質を防ぎ、労働者大衆の意志を反映させ続けるためになくてはならないものは何か。自由な言論、複数の異なる勢力の間の競争、公正な選挙である。これがなければ、権力が労働者大衆から遊離しても誰も正すことができなくなり、やがて資本蓄積機能を遂行できる強者達が権力機関を次第に乗っ取っていき、反革命を防ぐための効果的な武器であった弾圧機関が、そっくりそのまま反革命の側の効果的な武器になってしまう。これがまさにスターリンがいとも簡単に成し遂げたことだったのだ。

【やはりレーニンの責任は重大】
 そう考えると、第3世代の問いかけているレーニンの責任については、私も実に重大だと思う。
 レーニン率いるボルシェビキ党(のちの共産党)は、革命前から、皇帝政府を攻撃するよりは、他の革命党派を批判することにエネルギーをかけていた。この他派攻撃の役割のためにレーニンが重用した幹部が、皇帝政府の送り込んだスパイのマリノフスキーである。意見の違う者へのレーニンの不寛容さが、まんまと帝政に利用されていたわけなのだが、当のレーニンは最後までマリノフスキーを信じて、スパイ疑惑からかばいつづけた(結局バレたのは革命後)
 レーニン達は、権力を握った直後から、反対派の言論・出版を禁止し、秘密警察を作り、自由主義政党を解散させてその指導者を逮捕した。そこまでして出た憲法制定議会の選挙結果が自派に不利とわかると、一度も開かれないうちにあっさりこれを解散し、同議会擁護の平和的なデモに発砲して参加者12名を殺害した。革命半年後には、労働者達が手にした工場の管理権を再び取り上げる動きに乗り出した。外国軍介入や内戦が始まると、旧地主・資本家やその召使い、教会関係者、反革命やスパイなどと目された一般市民に対する、裁判抜きの恣意的な殺害は日常茶飯事となる。そして旧支配層の人々を「人質」として強制労働に従事させ、反政府的陰謀や反乱が起こるたびに、その都度これら無関係の「人質」を大量処刑した。
 レーニン達が率いた革命は「すべての権力をソビエトへ」というスローガンを掲げて成功したもののはずである。「ソビエト」とは、労働者が各工場から代表者を選挙して作られた会議で、革命まではこのソビエトが革命やストライキなどを指導していた。ソビエトは10月革命によって最高権力機関になったはずなのだが、革命後1年もしないうちに、地方・地区ソビエトの選挙でボルシェビキ党が軒並み敗北すると、レーニン達は多数派となったメンシェビキ党やエスエル派を全ソビエトからあっさり追放した。全国的なソビエト大会は、地方・地区ソビエトからの間接選挙だから、これによって「ソビエト権力」の実体は、ボルシェビキ党によって乗っ取られてしまったことになる。
 やがてレーニンは、大衆の自然発生性を「小ブルジョワ性」とみなして旧支配層以上に敵視するようになり、労働者も農民も、政府に従わない者はすべて、恣意的な処刑も含む弾圧の対象にするようになる。この時期以降のレーニンの残虐ぶりは、ソ連当局公認の『レーニン全集』だけでも十分明らかなのだが、ソ連崩壊前後から新たに公開された資料によって、言い逃れのしようがなく明らかにされている。
 もはや内戦が赤軍の勝利に終わりつつあった段階で、内戦遂行のための食糧の強制徴発にあえいでいた農村では大飢饉まで発生し、ついに農民の反乱が続発したのだが、レーニン達はこれを容赦なく徹底的に弾圧した。反乱地域は村ごと焼き払い、農民から大量の人質を取り、続々と裁判なしの銃殺にかけ、ついにはゲリラの潜む森に毒ガスをまいた。
 同じころ、ペトログラードでは労働者の大ストライキが起こったのだが、共産党政権はこれも武力で弾圧、1万人を逮捕し、そのうち500人をただちに拷問の上銃殺している。モスクワでも労働者のストライキが起こり、レーニンは一工場で説得を試みて野次り倒された末、軍隊を投入してこれを鎮圧している。そしてついに、一貫してロシア革命をリードしたクロンシュタットの水兵が、自由なソビエトに権力を取り戻すことを求めて反乱を起こしたのだが、レーニンは大軍を投入してこれを鎮圧、そこに居合わせただけの住民も含めてほぼ皆殺しにしている。
 そしてすでに「反革命」の軍事的脅威などなくなってしまっていた1922年に至っても、聖職者や熱心な信徒14000人から2万人が射殺され、同様の教会への弾圧は翌年も続いた。
 このようなことを直視しない者は、旧日本軍の蛮行から目を背けようとする国粋主義者とレベルが同じである。事実を知らずにレーニン崇拝していた者には何の罪もないが、続々資料が公表されている今になっても言い訳をつけてこれらの行為を擁護したならば、そのような運動は同様の条件に置かれた時に躊躇なく同じことをするだろう。
 
 

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私の主張3 :ソ連型体制は国家資本主義だった

 03年9月22日エッセー「この秋のお勧め本:ベッカー『餓鬼』」
 共産党支配下の中国で起こった三千万人級の大飢饉について、そのメカニズムを体制の本質から分析している。
 

推薦書

大谷禎之介、大西広、山口正之編『ソ連の「社会主義」とは何だったのか』大月書店、1996年、本体2,900円 著書のページ
 私の論文も収録されています。ソ連=国家資本主義論第2世代の代表的文献。

パレッシュ・チャトパディヤイ『ソ連国家資本主義論―─マルクス理論とソ連の経験 』大谷禎之介訳、大月書店、1999年、本体3,990円 amazon bk1 Yahoo!

小川 紀『後発国と国家資本主義──20世紀「社会主義」とは何だったか』イング・ネットワーク、1998年、本体1,000円
 第3世代の典型的文献。

森岡真史「ロシア革命における「収奪者の収奪」 」『カオスとロゴス』第20号、ロゴス社、2001年
 レーニンによるテロルの数々。最新資料はもちろん、『レーニン全集』からだけでも十分証拠があげられている。

ドミートリー・ヴォルコゴーノフ『レーニンの秘密』()、白須英子訳、日本放送出版協会、1995年、本体各2,345円
 ソ連崩壊後の公表資料3724点を元に書かれた伝記。抑圧と殺りくの数々を暴露している。
 

勝手にリンク
 
共産党問題、社会主義問題を考える
 宮地健一さんのホームページ。レーニンによる大量殺りくなどの残虐行為の資料を、徹底的に集めて公表している。スターリンや中国についても。

マルクス主義同志会
 1960年代からソ連=国家資本主義論を唱えていた林紘義率いる旧社会主義労働者党本体の後身。

ワーカーズ
 旧社会主義労働者党から離脱したグループの一つ。「国家資本主義」決議 国家資本主義について

ワーカーズ・ネット
 旧社会主義労働者党から離脱したグループの一つ。ソ連やレーニン評価についての一例はこちら
註:2004年11月13日に、「ワーカーズ」と「ワーカーズ・ネットワーク」は合同して、「ワーカーズ・ネットワーク」になったそうです。

イング・ネットワーク
 旧社会主義労働者党から離脱したグループの一つ。ソ連や社会主義評価についての評論がこちらからいくつか読める。

「まずは、レーニンとの訣別を」
 日本共産党研究ページ「新・JCP-Watch!」への「社民精神」氏の投稿。レーニン全集や新公表文書にあるレーニンの残虐指令が引用されている。その他、信頼度の高い参考文献が多数紹介されている。
 

 
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