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 06年12月2日 書評:宮尾龍蔵『マクロ金融政策の時系列分析』


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 宮尾君は大学院時代の友人で、歳も生まれ月まで同じである(たしか星座は別)。その彼が、労作『マクロ金融政策の時系列分析──政策効果の理論と実証』(日本経済新聞社)で第49回日経・経済図書文化賞を受賞した。自分の友人からこの年でこんな業績をあげた者が出るというのは、全く誇らしい限りである。ちょっとくやしい気もするが、まあ、僕などとても及ばぬ才能と努力のたまものだからしかたあるまい。なかなかまぶしいぞ。

 さて祝福にここで書評をしてやろうと思っているのだが、なにしろこっちは田舎町で周りの諸務に追われているうちに、何の因果かリフレ派一味のダークサイドに身を落とし、宮尾君から雑魚としてまとめて退治される役回りになってしまっている。あまり好意的なことが書けそうにないので困ったものである。

【VARモデル分析は・・・ごめんなさい、わかりません】
 もっとも好意的も何も、僕は大学院を出てからというもの、計量経済学の勉強は何もしていないので、この十数年の計量経済学の発展には全くついていっていない。だから、この本のメインの内容であるVARモデルによる実証分析は、正直言ってわからないのである。
 大学院を出たあとで流行り出した理論経済学のトピックスは、行動経済学だの金融工学だの比較制度分析だのいろいろあるが、だいたいはまあ何を言っているのかくらいは理解できた。しかし計量経済学の時系列分析だけは何を言っているのか自体がよくわからないで今に至っている。まあ、自分が使うこともないだろうと思ってきたから、教科書を勉強したりはしていないのだが、解説のようなものも難しくてなかなか意味がとれない。以前『経セミ』で解説が連載されていた時、これならわかるかなと思って読んだが、やはりよくわからなかった。まあ、歳とって頭がすっかり鈍くなっているせいもある。宮尾が会ったらびっくりするぞ。えっ、元からそうだったってか。
 この宮尾君の本の解説は、『経セミ』よりはよっぽどわかりやすかった。何をやっているかの一番の大枠だけは理解できたかな。でもやっぱりわからないことには変わりはない。それはこっちが頭が悪いせいで、本を責めているのではない。たぶん人間ができる最大限コンパクトでわかりやすい解説はしているのだと思う。まあ、僕の力では未来永劫マスターできないだろうし使うこともないのだろう。
 だからこの本のメインの内容であるVARモデル分析については、「何だかすごそう」と言うだけである。しろうとの身としては、「すごそう」なものは敬意を払って受け取っておくほかない。この点について批判すべきこともあるのかもしれないが、それはその道のプロに任せよう。

【計量分析からこの金融政策論は導けるか】
 ところが、宮尾君の実証結果が正しかったとしても、そこからひきだされるのが彼の主張する政策ばかりであるとは限らないだろう。
 宮尾君の導いた主な実証結果は、1990年代の半ば以降、金融政策の効果は失われているというものである。世の中の生産活動への効果も物価への効果も、めっきり低下してしまっているというのである。また、1980年代の後半以降、為替レートの変動が輸出に与える効果も少なくなっていると言う。
 ここから彼がひきだす結論を簡単に言えばこうだ。「デフレ不況から抜け出すためにもっと金融緩和しろという主張には気をつけろ。そんなものはあんまり効果はないぞ。ましてや金融緩和でインフレを目指せなど論外。インフレにしようとしたって物価なんて金融政策じゃ動かせない。金融緩和で円安にしても輸出を増やせない。そんな通貨価値を損なう政策よりもっと他にすることあるだろう。構造改革だ。」とまあこんな感じである。
 しかし、この同じ実証結果から、別の主張も引き出せるはずである。90年代半ば以降、金融政策の効果は低下してしまっているのだから、もっともっと大規模な金融緩和をしないとだめだという主張である。
 もちろん宮尾君はこうした主張には反対している。金融当局への信認の低下、予測不可能なハイパーインフレの可能性、不確実性増大のせいで起こるかもしれない不況の深刻化等々といった危険性が論拠である。しかし、これらの論拠は信念的に述べられているだけで、数理モデルや計量分析で言っているわけではない。
 それが悪いとは言わない。大いに論じればよい。ただ読者は、その部分は本書の強みである厳密科学的分析とは別の議論であることをわかって読むべきである。宮尾君も僕も含む経済学者世界が本来やるべきことは、こうした危険と便益と、他方の宮尾君の提唱する方向での政策の危険と便益を、数理モデルや計量分析でできるかぎり確定し、比較考量できるようにすることだろう。

【金融政策では物価を上げられない?】
 ちなみに金融政策では物価を動かせないとする議論については、揚げ足取りみたいで恐縮だが、よく言われる話がある。金融緩和して本当に物価が上がらないのなら、ある意味こんなチャンスはない。やるべきことはいっぱいあったはずだ。ゼロからおカネをジャカジャカ作って直面する大問題を全部解決してしまえというわけである。全国民にばらまいて、世の中から貧困を一掃できる。大量のイラク復興資金を出して自衛隊派兵を免除してもらえる。侵略の被害者にもばらまいて戦後補償問題にケリがつけられる。何より巨額に膨れ上がった国債をみんな日銀が買い取って、国と自治体の借金をチャラにしてしまえる。
 まあこれは冗談としても、物価が上がりにくいのは事実だったろうから、デフレ真っ盛りのときにはこのうちいくぶんかは実現できたということになる。おしい時期を逃してしまった。
 それに、金融政策の物価への影響がなくなったという実証結果に異存はないけれど、これでインフレ目標政策を批判しようとする論理の組み方には疑問がある。生半可な理解であまり自信がないのだが、VARモデルというのは、金融当局が経済現象に対応してこれまでフツーにとってきた政策の反応の仕方を前提しているはずである。ところがインフレ目標政策と言うのは、経済現象に対して今までとは違う政策対応をするような、新しい金融当局の反応ルールに切り替えようという話なのだ。だから、その効果を、従来の反応の仕方を前提にしたモデルで測ることはできないはずである。しろうとが的外れなことを言っているかもしれないが、そのときにはすまん。
 しろうとの疑問ついでにもう一点。第2章では、金利政策としての金融政策が1990年代半ば以降効果を失ったことが実証されているが、このデータの期間は1998年4月までであって、2000年8月のゼロ金利解除とそのあとの景気後退の時期は含まれていない。この期間が含まれれば、少し結論が違ってくるのではないかという気もする。しかし、第7章の貨幣供給量を使った分析の方を見てみると、こっちは2003年まで期間に含んでいて、なおかつそれでも貨幣供給量のGDPへの影響が90年代半ば以降失われていることが実証されている。だったらこれでいいのかなという気もする。
 もっともこれも、量的緩和が本格化したのは2003年に入ってからで、その後目に見えた景気回復が始まっていったわけだから、その一番劇的なところが期間に入っていないという気もする。
 だから、第2章の分析も第7章の分析も、最新のデータまで含めて、再度結果を出してもらうことが期待される。それがこの本の結果と異なるものになったとしても宮尾君の名誉は損なわれず、むしろ新たな業績が加わることになるだろう。もちろん、この本の結果を追認することになることも、おおいに歓迎するところである。

【流動性のわなへの誤解】
 さて、金融政策で世の中の生産も物価もなかなか動かせないとなれば、それは「流動性のわな」にほかならない。本書の計量分析の結果は、90年代の半ば以降日本は流動性のわなの状態に陥ったということであって、これはかねてからの僕の見立てを支持するものである。
 ところが宮尾君は第4章で、90年代半ば以降の日本が流動性のわなにあったという仮説を計量分析で否定している。
 だがこれは流動性のわなとは何かということについての誤解に基づいている。宮尾君は貨幣需要の利子弾力性が非常に大きくなることを流動性のわなととらえている。利子率が下がったら他人におカネを貸したくなくなるから、おカネを自分でおカネのまま持っておこうとするようになる。利子率が下がった時におカネのまま持ちたいという貨幣需要が何パーセント増えるかというのが「貨幣需要の利子弾力性」で、流動性のわなになると、ちょっと利子が下がったら一気にみんな債券を手放してワッとおカネに換えようとするというわけである。そして宮尾君は、貨幣需要の利子弾力性がほぼ不変である、利子率がどんな水準にある時期でも、それが下がった時の貨幣需要の増え方は変わらないという計量分析結果によって、流動性のわな状況を否定しているのである。
 それに対して僕の理解する流動性のわなの定義は、河野良太さんと二階堂副包先生が互いに独立に打ち出したものである。それは、「貨幣需要の実質資産効果が1」というものである。どういうことかと言うとこういうことだ。人々は手持ちの資産が増えると、消費も増やそうとするだろうし、他人におカネを貸して債券も増やそうとするだろうし、手持ちの貨幣も増やそうとするだろう。それが実質資産効果というものだけど、それが1というのは、資産が増えた分、消費も債券も増やさずに、きっちり全部貨幣にして持とうとするということである。
 こんなふうになるとどうなるか。中央銀行が金融緩和して貨幣供給が増えても、人々が手持ちの貨幣が増えた分全部貨幣のまま持っておこうとするので、モノの需要にまわらないから物価は上がらない。他人におカネを貸すのにもまわらないから利子率も下がらない。経済に何ごとも影響しないということになる。
 これを簡単な数式で示すことをお許しいただきたい。数式の嫌いな人は適当に読み飛ばしてもかまいません。(偏微分記号とかキーボードにないし、ブロークンな表現は大目に見てちょうだい。)
 簡単化のため世の中全体での債券債務が相殺されて消えるとみなして、資産として貨幣だけを考えれば、実質貨幣供給量をmS、貨幣需要関数をmD(・)、実質貨幣の初期保有量をm、実質所得をY、利子率をiとすると、貨幣需要の均衡式は次のようになる。

mS=mD(m, Y, i)     (イ)
流動性のわなというのは、dmD/dm=1ということである。このとき、-dmD/diは無限大でなくてもよい。普通の有限の値をとっていい。
 ここでおおざっぱな議論をしているならば、人々の貨幣の初期保有mは、世の中に出回っている貨幣供給量mSと同じとみなしてかまわないだろう。そうすると(イ)式の右辺にmSを代入して解き直せば、次のような式を作ることができる。
mS=L(Y, i)     (ロ)
この右辺が通常、貨幣需要関数と考えられているものである。そうすると、(イ)式でdmD/dm=1のときには、それを解き直した(ロ)式においては、-dL/diは無限大となる。「貨幣需要の利子弾力性無限大」という流動性のわなの通常の定義はここからきているのである。
 詳しくは、興味のあるかたは、拙著『標準マクロ経済学』の第7章をご参照いただきたい。
 しかし厳密にはmmSとはちょっと違う。貨幣供給を増やしても人々の手持ち貨幣がただちに増えるわけではないのだから、両者は時点がずれている。厳密に見れば(イ)は(ロ)のように変形することはできない。
 宮尾君のやった計量分析は、(ロ)の形の式を計測したのだが、現実には(イ)が成り立っているので、貨幣需要の利子弾力性があまり変わらないという結果が出てきても不思議ではないのである。
 なお、宮尾君はミクロ的基礎の数理モデルから(ロ)型の貨幣需要関数を導いているのだが、実はここで導き出されているのは、本当は(イ)の貨幣需要関数なのである。貨幣需要が利子率と消費の関数で出されていて、この消費が所得と同方向に動くからということで(ロ)にもっていっている。しかし、ちゃんと解くならば、消費には予算制約式を代入しなければならないので、結局貨幣需要は、初期資産と所得と利子率の関数としてきっちり出てくるのである。
 このとき、流動性のわなならば、貨幣の限界効用が一定値γをとるので、116ページ(4.10)式の右辺の貨幣需要は消え、(4.7)式より、消費が利子率だけの関数として出る。この消費に予算制約式を代入すると、予算制約式中のmだけが貨幣需要になるので、結局、貨幣需要を予算制約式中の前期のmなどで微分した実質資産効果は1になる。
 ちなみにこのモデルの定式化は厳密にはちょっとおかしい。一人当り資本ストックが最適化のために動かす内生変数になっているので、所得も利子率もそれによって直接決まる内生変数である。市場によって与えられるパラメータのように扱って貨幣需要関数を表すわけにはいかない。貨幣需要関数を導き出す目的のためには、実物資本ストックではなくて債券を持つことにして、利子率も所得も最初からこの主体にとっては外から与えられるパラメータと扱わなければならない。まあ、結論的にあまり変わらないのだからいいのだけど。


【クルーグマンモデルについて】
 ところで、宮尾君はこの本で、クルーグマンの調整インフレ論のモデルを検討して批判している。
 クルーグマン・モデルは要するに、現在財を消費することと将来財を消費することとの間のちょうどいい配分で消費需要が決まるという話である。将来消費することよりも現在消費することをもっと有利にしてやれば、現在の消費需要が増えて景気がよくなる。このためには利子率が下がればよい。
 ところが日本では名目利子率は下がる所まで下がってしまっている。どうしたらいいか。
 そこで、将来の物価が上がると人々に予想させればいいということになる。そうやって実質利子率を下げるのである。つまり、将来物価が上がるならば、先延ばしせずに今買った方がトクというわけである。このために、ある一定の容認できる率のインフレを起こすことを中央銀行が約束して、それが実現するまで金融緩和をするぞと宣言しろというのがクルーグマンの提案になる。
 これを受けて、金融政策では物価を上げるのは難しいという宮尾君の計量分析がなされているのである。この点については、すでにコメントしているので詳しく繰り返すことはしない。かつてない大量の金融緩和の体制をとれば少しはインフレを起こせるかもしれない可能性は、彼の計量分析結果によっては否定されない。実際このかん日銀のやった大量の量的緩和政策は、デフレ下でゼロインフレまでインフレ率を引き上げることを約束した一種のインフレ目標政策だったと言える。多くのインフレ目標論者から見たら目標率は低すぎるかもしれないが、大枠の枠組みはインフレ目標政策そのものだった。そしてその結果実際に人々の予想インフレ率は上昇し、実質利子率が下がったのである。それが景気回復をもたらした直接の要因だと思われることは以前のエッセーに書いた通りである。まあ、まだまだ心もとないところがあるし、ゼロインフレだったら不測の景気後退が起こった時に名目利子率がすぐゼロにぶつかって下げられない問題があるという意見もある。
 これに対して宮尾君は、同じクルーグマンモデルから、「構造改革」という別のやり方も導けると言う。つまり、将来所得の予想が上がれば現在消費も上がる。そもそも名目利子率をゼロにしても消費需要が足りないという、均衡実質利子率マイナスなどという事態がなぜ起こるかというと、現在よりも将来に所得が下がるという予想を人々がしているからである。将来所得が十分高ければこんなことは起こらない。「構造改革」で生産性を上げて、人々の将来所得予想を引き上げれば、現在消費を喚起することはできる。こういうわけである。
 しかしクルーグマンモデルが念頭においている「将来」というのは、いつのことだろうか。数年後に先延ばしして計画していた消費を今するかどうかということではないか。景気に一番効く住宅の建設などを考えてみればよい。このときの「将来」の所得についての予想は、現在の足下の所得状況によって形成されるのが当然だろう。「構造改革」でバタバタ倒産して失業者もたくさん出た時に、将来所得の予想が上昇するだろうか。むしろ逆になるのではないか。
 実際のことを言うと、「構造改革」で将来所得予想が上昇して景気回復に向かったという要素はたしかにあると思う。しかしそれはクルーグマンモデルが直接示している消費選択の話なのではない。企業がリストラ首きり・パート化と海外進出で収益性を回復して、将来の企業所得の予想が改善され、そのおかげで設備投資が増えたために景気が回復したのである。さきに述べたインフレ予想上昇による実質利子率低下がもたらした景気回復も、クルーグマンモデルの直接示す事態としてなされたわけではなくて、やはり実質利子率が下がったおかげで設備投資が拡大してなされたのである。
 だからなるほど失業者が減ってきたことはいいことかもしれないが、多くの庶民にとっては、誰のための景気回復かという現実がまだまだあるわけである。
 僕自身は、インフレ政策はファーストベストだとは思っていなくて、セカンドベストと考えてきた。クルーグマンモデルを見て考えたファーストベストの政策は、現在の消費税減税と将来の消費税増税確約、そして現在の所得税増税と将来の所得税減税確約との組み合わせである。現在の消費税が低くなって将来の消費税が例えば二年後に確実に上がるならば、インフレ目標政策よりもずっと安全確実に、現在消費が有利化することになる。現在の可処分所得が増税で押さえられ、例えば二年後の減税で可処分所得が確実に上がるならば、宮尾君の考える「構造改革」よりも安全確実に将来所得予想を上げることができる。

【おわりに】
 あと残ったいくつかの点。
 第5章の、為替レートが輸出にあまり影響しないという話について。宮尾君が書いているとおり、円高になっても現地価格を維持する行動を企業がとるために輸出がさほど減らないのならば、企業は円表示の収入が減って、少なくとも人件費を円で払う以上は絶対に損をするはずである。だからこの計量分析結果によっても、円安になった方が景気にとってプラスだという命題は否定されないはずである。
 それから、第6章の経常収支と財政収支の持続可能性については、そのとおりだと思いました。
 第8章の結論は、VAR分析の読み方がよくわからないので、残念ながら理解できなかった。

 ともかく、この本が日経・図書文化賞にふさわしい、現実経済と格闘した計量分析の優れた労作であることは間違いない。リフレ派の人こそこの本を読んで自説を鍛えてほしい。特に、僕と違って計量経済学の能力を持っている人は、この本の計量分析そのものの検討に是非取り組んでほしいものである。
 なお、宮尾君の書いたマクロ経済学の教科書『コア・テキスト マクロ経済学』(新世社)はお勧めである。現代的にミクロ的基礎からマクロ経済学を体系的に展開した入門教科書は、たぶん僕の『標準マクロ』が最初のもののひとつだと思うけど、なにしろテキストに使う大学の事情で微分・積分一切なしという制約がかかっている。不十分なものになるのは仕方がない。宮尾君のものはそういう制約がないので、ミクロ的基礎から現代マクロ経済学の入門レベルの体系を展開するのに必要にして十分なところを網羅している。微分・積分がわかる人ならば、この本からマクロ経済学を始めることを勧める。
 

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 用語解説「ケインズの経済理論」

 02年8月12日エッセー「「構造改革」の長期的帰結」

 02年8月13日エッセー「景気対策のアイデア」
 
 


 

 

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