松尾匡のページ

20年2月12日 お久しぶり、近況です



【薔薇マークキャンペーンとその後】
 気がついたら、1年半ぐらいもエッセー更新が止まっていました。前回のエッセーのあとしばらくしてから、反緊縮派の野党候補に認証をつける「薔薇マークキャンペーン」の準備が始まり、去年2月に立ち上げ、4月の統一地方選挙、7月の参議院選挙と怒涛の取り組みが続きました。それで一区切りと思ったら、そのあとも、(自分自身はMMTでもないのに)海外のMMTの論者の招聘とか、消費税率引き上げ反対関連とかいろいろあって店じまいできず、そのままその人間関係で先日京都市長選挙に突入して、まあ残念ながら結局負けまして、ようやく一段落という感じです。ここまで本当に精力的にご協力いただいた多くのかたがたには、もうひたすら感謝しかありません。
 「薔薇マークキャンペーン」の今後については、労働運動や社会運動の現場で事業を担っている人たちを巻き込んだ協議体を戴く組織への改組をめざすということが昨年10月の総括会議で決まっていて、その発足が今月に予定されていたのですが、現在のところなかなか予定通りには組織化が進んでいません。とりあえず、わたしたちがモデル的に発表していた政策マニフェスト(地方版)を改定・更新するための研究会に、いろいろな現場の活動をしている人に参加してもらって、お知恵を拝借しながら、信頼関係を醸成していくことからやっていこうということに今はなっています。

 それにしても、ひとつの運動組織を立ち上げて「代表」とかやるということは、ここまで大変なことかと思い知りました。授業時間以外は、メールのやりとりと、「チャット」って組織内SNSのやりとりで一日が終わる日々。意見調整や関係調整にかかる時間がどんどん増えていきましたね。かつて夫婦関係で鍛えられた「頭の下げ方」にますますみがきがかかる。研究ができないとか本が読めないとかは最初からわかっていた当たり前のことですけど、講演の準備とかちょっとした原稿書くのとかも、数は容赦無く増えているのに時間が圧迫されていきます。
 今は一時期ほどではないですけどね。でもとうとう今年は新年の挨拶メールが出せませんでした。不義理をしましてすみません。やっぱり年末年始大変だったもので...。

【年末は大阪カジノで労働不足論文】
 学内の紀要雑誌で同僚の定年記念号があって、当人から論文執筆を依頼されていたのですが、いろいろ立て込み過ぎてとても書ける見込みはないと諦めていました。しかし、12月21、22、23日の三日連続講演を無事乗り切り、年内の授業も終わったら、こりゃ大丈夫かもと甘い見通しが頭をもたげてきたのです。というのは、大阪のカジノ事業が実現されたら、いろいろ波及して必要になる労働のために、高齢化でただでさえ介護の人手不足になっている状態がいかに悪化されるかを試算したものがすでにあったのです。これは、これまで私のゼミの学生たちが、二回にわたって取り組んできた研究で、それを手直しすればいいだろうぐらいに思っていました。
 担当事務窓口に今からまだいけるか尋ねたら、「年内に出してもらえれば」との答え。「年内」というのが、年内に事務窓口が閉まるまでという意味か、12月31日23時59分までという意味かはあえて尋ねることはせず、ごく自然な合理的推論で後者の意味と心の中で解釈して執筆にかかりました。そしたら、よく検討したらやっぱり結構ミスもあって、学生の計算をそのまま使うわけにもいかないとわかり...。年末三日カミさんが京都に遊びにきて、12月31日23時59分にはとても間に合わなくて、どうせ今送っても事務は動かないのだからと、また至極合理的推論で心の中で締め切りを延ばす...。
 といったことのはてに、めでたく正月明け事務が開く前には悠々間に合って提出できました。

【年明けは経済理論学会誌2万字の原稿】
 ところがそんなとき、マル経の代表的学会である「経済理論学会」の学会誌の編集委員会から、10月の学会大会の「共通論題」でやらされた報告を載せる特集号論文の締め切りが1月10日だが進んでいるかと、正月挨拶を兼ねたリマインドメールが! 全然意識になかったがな。
 思い出してみたらそーや…と。共通論題報告は事前に報告論文を出させられるので、普通はそれを手直しすればいいということであまり大変なものとは意識されない扱いで、私もすっかり忘れていたのです。ところが今度の私の場合、ちょうどこの10月の学会大会に先立つ時期、共著本の原稿の督促が激しく入って、私は切羽詰まってこの報告論文をそのまま本の原稿に回してしまっていたのだ!
 なんたること、私は数日の間に2万字規模の原稿を一から書かなければならないはめに陥っているぞ。
 それはいくらなんでも無理なので、なんとか頼み込んで締め切りを20日まで延ばしてもらったのですが...。正月休みが明けても、インターネットテレビ出演やら講演やらはあるし、会議はあるし、飲み会や組合大会はあるしで、やっぱり20日にはできあがらないわ。数日超えてなんとか出しました。
 しかし時間もないし、しかも制限字数いっぱいになったもので、注も参考文献もない状態。これでご容赦くださいとメールで頭を下げていっちょあがり。

【京都市長選挙応援】
 そのころは1月19日告示、2月2日投票の京都市長選挙真っ最中。共産党とれいわ新選組、新社会党、地元の緑の党の推薦を受けた反緊縮の福山和人さんが、自民、公明、立民、国民民主、社民推薦の現職に挑む闘いでした。もうひとりネオリベ地域政党の創設者も立った三つ巴で、もしかしたら福山さん勝てるかも、もし勝ったら歴史が変わると思ったのですけどね。もともと昨年末から政策の検討とかもしていたのですが、上記のとおりいろいろほかに抱えこみすぎてどうしてもペースが遅れてしまい、あんまりお役に立てなかったなあと反省しています。そんな中でも残っていた宿題をしなければならないと思いつつ、うまい目処がたたないので、選挙街宣チラシまきやらデモやら電話かけやらと、いろいろ目の前の取り組みに逃げ…。
 ところが実は、1月31日には金融学会で報告とシンポジウム登壇を頼まれていたので、そろそろ他の登壇者の報告論文を検討しておかないといけないなあと思い始めた。と、その矢先。
 経済理論学会の雑誌の編集側から、本文削らず制限字数は超えていいので、1月31日までに注と参考文献をつけろと!

【1月末は経済理論学会誌終わらないまま金融学会に向けて】
 それでえらいこっちゃと、注と参考文献をつける作業にかかったころ、別件で新たな問題が判明!
 実は、昨年金融学会の報告を頼まれた時、年末までに報告論文を出すことになっていたのですが、そんなことできるわけない。それで、すでに景気循環学会の機関誌に載った論文があるので、それをそのまま流用していいのならできると言ったら、報告後、金融学会の機関誌の特集号にその模様を載せるときに、別の論文を執筆して出してもらえばいいので、とりあえずそれでかまわないと返事がきたのでOKしたという経緯がありました。
 とはいえ、景気循環学会の機関誌の論文が発表されたあとで、日本のMMTの人との直接のやりとりや、MMTの創設者のビル・ミッチェルさんとの直接のやりとりなどがあって、ちょっと書き直す必要を感じていたので、多少手直しするつもりだったのですが、そのまま忙しさにかまけて忘れてしまって、年が明けてから思い出し、あわてて適当に一部削除して送ったのでした。
 そしたら、1月も終盤になって、この原稿が金融学会員以外にもダウンロードできる形で公開されていることがわかったのです。こんな扱いになるとは全く知らなかった。バレたら景気循環学会の著作権を犯すと言って問題にされなねない。
 どうしようと思っている間に、この原稿がMMT界隈で「MMTのことがわかっていないトンデモ論」と炎上始めたらしく、広まる気配。もう黙ってやりすごすわけにはいかず、金融学会側に連絡して対処をお願いしたら、ほぼ同時にMMTの人の一人から直接私にメールも入り、両面のやりとりでまた時間を食いました。とりあえずすぐに金融学会のウェブからは削ってもらえたので著作権問題は問題にならないうちに解消できたと思います。
 そんなこんなでMMTの人からの指摘も読まなければならず、他の登壇者の報告論文も目をとおさなければならないのですが、経済理論学会の原稿に注と参考文献をつける作業もしなければ。大学の会議や定期試験監督の合間を縫って作業を進め、1月31日が慶応の金融学会、2月1日は法政の経済理論学会幹事会のために、選挙戦の大事な大事な最終二日後ろ髪引かれる思いで上京し、2月1日の午後の幹事会前の午前中に経済理論学会の雑誌の作業を完成させて送るという泥縄でした。

【MMTと言う必要はない】
 金融学会の私の報告自体は、11月のケインズ学会の報告のときのA4一枚の手書きのレジュメをそのまま流用して行いました。「長期停滞・低金利下の財政・金融政策:MMTは経済理論を救うか?」と題したコンファレンスだったのですが、私は反緊縮諸学派の相互関係を整理する報告をしました。私は午後の自分のセッションからの参加で、齊藤誠さんと、村瀬英彰さんの報告をお聞きしました。そのあと、齊藤さん村瀬さんと、報告は午前中だったのでお聞きできなかったのですが中野剛志さんと、四人でパネル討論をしました。
 齊藤さんと村瀬さんの報告は、言うところの「新古典派」のモデルに、言うところの「MMT」を組み込んだというふれこみでした。これに対しては、事前にMMTの人から、そんなものはMMTではないと言ってくれとの要請を受けていたので、MMTそのものとどう違うのかを検討する余裕は何もなかったのですが、ともかく、「MMTの人はMMTではないと言っている」ということだけは言っておきました。まあ、MMT派はいろいろとこだわりの多い人たちで、私自身もMMTの人たちからは、何かと言うとお前のMMT理解は違うとツッコミを受けてばかりですので、軽々に「MMT」などと言うと怒られるからやめておけと言っておきました。
 実際、MMTなどという必要はひとつもないモデルでした。齊藤大先生の前で偉そうな口を聞いてもうしわけなかったですが、この手のことは20年以上前から私も言っていたと言いました。いやもちろん、齊藤先生ご自身も20年以上前に同じ本質のモデルを作っていらしたということも強調しておきましたが。
 齊藤さんや村瀬さんが「MMT」という言葉で指していたことは、赤字財政支出を拡大してもインフレにならないし、金利も上昇しないという事態のこと。ほとんどそれだけです。そしてこの性質をもたらすモデルの本質は、お二人のモデルに共通していると見受けました。それは、何らかの意味での貨幣供給が増えてもそっくり持たれてしまい、それがスラックになって内生変数に影響しない仕組みになっていることです。齊藤さんのモデルでは貨幣市場が超過需要になっているためにあからさまにそうなっていますし、村瀬さんのモデルでは銀行の超過準備が持たれるところがそうなっています。

【1990年代「流動性のわな革命」】
 これは「MMT」と言うべきではなく「流動性のわな」と言うべきです。そこで私は以下のようなことを簡単に説明しました。
 戦後長らく、ケインズ理論の前提は価格硬直性にあるとの理解が主流でしたが、1990年代に、そのケインズ理解は間違っていて、ケインズ理論の本質は「流動性選好」にあるとの理解が広がりました。「流動性選好」とは、何も欲しいものがなくても貨幣を欲しがる性質のことです。ケインズの主著『雇用・利子・貨幣の一般理論』は、そのタイトルのとおり、「雇用が少ない原因は利子率が高いせいだ。利子率が高い原因は貨幣を欲しがるせいだ」という順番で根元を探っていく本で、特に、それまで難解とされて捨て置かれていた17章が、人が貨幣を欲しがるために金利が高くなることを論じた全体の要の章として再注目されたのです。
特に流動性選好が極端になった、「流動性のわな」という概念について、それまでの通説理解のように、単に名目金利が負にならなくてゼロに張り付くとか、一定の低い値になるとかということが本質なのではなく、「貨幣需要の実質資産効果が1」であること、すなわち、貨幣供給が増えても同じだけ貨幣需要が増えて、そのまま持たれてしまって内生変数に影響しないことという解釈が登場し、そのもとではケインズ的世界が極端にあてはまることが示されるようになったのです。
 それをはっきりと論じたのが1998年の二階堂副包先生のThe Japanese Economic Review, vol. 49, No. 1の論文、“Keynes’s Liquidity Trap in Retrospect” です。これと同じことを、私の大学院の先輩筋にあたる河野良太さんも1994年出版の著書『ケインズ経済学研究』(ミネルヴァ書房)の中で論じていました。
 そしてこれと同じ性質を持ったケインズ的性質のモデルが同じ頃に続々と登場します。小野善康さんの1992年の『貨幣経済の動学理論──ケインズの復権』(東京大学出版会)のモデルも、デフレ均衡の極限はそうなっています。大瀧雅之さんも同時期に同様の研究を進めていて、2005年の『動学的一般均衡のマクロ経済学』(東京大学出版会)でまとめられています。1998年のクルーグマンさんの日本経済についての二本の論文、 “JAPAN'S TRAP”(和訳)と“It's Baaack: Japan's Slump and the Return of the Liquidity Trap”(和訳)も、名目金利ゼロの世界では、今期の貨幣供給が増えたら全部貨幣需要される性質を持っていることがモデルの本質になっています。これらの研究については、私はそれぞれ下記の解説論文を書いているのでご検討ください。
小野モデル超簡単バージョン
大瀧雅之『動学的一般均衡のマクロ経済学』第4章第4節のモデルの検討 (数学付録はつけないままです。すみません。)
ポール・クルーグマン「日本の問題を再考する」(Rethinking Japan)解説

 私の解釈では齊藤さんが同時期に作られた、貨幣需要の「ブラックホール」モデルも、同じ本質を持ったものだと理解しています。私が勉強させていただいたのは、2002年に出版された『先を見よ、今を生きよ──市場と政策の経済学』(日本評論社)でしたけど、もともとは90年代に発表されたものだったはずです。
 ちなみに私自身、同様のケインズ理解に則って、1999年にマクロ経済学の教科書『標準マクロ経済学――ミクロ的基礎・伸縮価格・市場均衡論で学ぶ』(中央経済社)を出しています。これは、私立文系の学生でも通用するよう、微分を一切使わず、数学は四則演算レベルで最小限に抑え、二次元図を使って、ミクロ的基礎、伸縮価格、市場均衡論に基づくマクロ経済学体系を説明したものです。そういうと一見、新古典派の教科書のようなイメージを持たれると思いますが、それでいて標準ケインジアン流の不完全雇用を伴うIS—LM分析の教科書になっています。それが成り立つからくりがやはり流動性のわなにあるわけです。利子率が、債券の危険度から決まるある一定値以下になると、債券を持たずに貨幣で持とうとするために、実質貨幣供給が増えても全部貨幣需要されてしまう。ここから左側で水平に近づくLM曲線を導き出していて、どれだけ貨幣賃金率や物価が下がってLM曲線の右シフトが起こっても不完全雇用均衡が解消されない仕組みになっています。
 なお、実はこの本は、「オイコノミア」とかに出てる安田洋祐さんが、学部生時代にご愛顧くださったそうで、以前ブログで過分なお褒めをいただいています。

 このような流動性のわなを前提すると、赤字財政支出を拡大してもインフレにならないし、金利も上昇しない。産出が増えて雇用が増えていいことだけがあります(貨幣で持たれて乗数は削がれるかもしれないが)。物価が下がっても賃金が下がっても総需要は全く増えないし、金融緩和で貨幣供給を増やすこと自体は全く無効で経済に何の影響も与えません。その後の日本経済がすでに全部言われています。
 ふりかえってみると、90年代にはこれだけ集中して同じようなことが認識されたのかと改めて感慨深いです。それだけ日本のデフレ不況開始が当時衝撃的だったということでしょう。さらに言うと、同じ経済現象を根拠にした新古典派側からの供給構造改革論が当時はとても強力で世間に鳴り響いていて、ケインズ派側に危機意識を持つ人がたくさん現れたのだと思います。

【「流動性のわな革命」が共通認識になってなかったのか】
 さて、こんなことをパネルではかいつまんで述べたのですが、私の経済学説史認識では、90年代にかくして大きく歴史が転換し、新しい時代になったというつもりでいました。なのになぜ今さらMMTに言われて、慌てふためいて90年代に言われたことを新しいことのように言いだしているのだろう? 今、このエッセー文を書きながら、だんだん愕然としてきたのですが、当時「流動性のわな革命」が起こっていることを認識して、新しい時代の到来にわくわくしていたのは、もしかしたら壮大な独り相撲だったのか?
 その後まもなくクルーグマンさんの提起を受けて日本で「リフレ派」と呼ばれるグループが形成され、私もその端くれを名乗ることになったのですが、違和感があったのは、自分の括り方では同じカテゴリーに入っていた小野さんも大瀧さんも齋藤さんも、アンチリフレ論者として対立する分類になったことでした。たしかに小野さんの理論の中にもワルラス法則解釈など受け入れられないものはありますし、ことさらに金融緩和策を否定する姿勢もおかしいし、菅内閣が消費税増税に変節したことに果たした役割は大いに批判されるべきだと思いますが、私は大方のリフレ派の依拠するニューケインジアンの標準的なモデルには気に入らないところがわりとあって、実は小野さんのモデルの方がよっぽど好きです。当時の大瀧さんのモデルも齋藤さんのモデルもそうですね。みんなリフレ論的だと思っています。
 たしかにみんな流動性のわなのモデルですので、金融緩和が無効になるのは当たり前なのですが、私の認識ではリフレ派が金融緩和を唱えるのは、貨幣価値を低めて流動性選好を低めるという意義はありますが、基本的には手段の問題に過ぎない副次的論点だと思っていました。基本はデフレが実質金利を高止まりさせて総需要を抑制している経路の認識が大事で、小野さんのモデルはまさにそうなっています。そして流動性のわなモデルでは基本的に物価水準の歴史的水準が内生的に一意に決まらないので、将来物価を外から与えることができる。なので人々の予想インフレをプラスにすることで実質金利を低める余地がある。当時の小野さんのモデルも大瀧さんのモデルも齋藤さんのモデルもその意味でリフレ論的だと思っていました。
 でもみなさんその後金融緩和にも赤字財政支出にも反対されたのですね。他方「リフレ派」にも赤字財政支出拡大論には温度差がありましたし。リフレ派側で小野さんや齋藤さんの理論モデル自体を排撃するような論調があったのも違和感ありました。
 思い出してみたら当時私は「ニューケインジアン」とは名乗ってませんでした。当時はまだマンキューさんなどのみたいに、ただ「新しい古典派」のモデルに価格粘着性を入れただけのイメージが強く、価格が簡単に下がらないのがケインズ的になる原因とする古い考え方をひきずった理論と思っていましたので。貨幣需要が入ってリフレ政策やヘリマネ政策が扱えるようになって、はじめて初期ニューケインジアンから異次元の飛躍をして、90年代「流動性のわな革命」以後の小野理論などと同じカテゴリーに入ったと認識していたのです。しかし、ニューケインジアンは、現実説明力を高めるために、次々とアドホックに市場摩擦要因を入れ込んでいきましたので、いったいどの前提が本質的に効いているのかわからないしろものにどんどんなっていて、多くの人たちはマンキューさんの時代からの質的な断絶を意識せずにいたのかもしれません。

 その意味では、90年代「流動性のわな革命」の意義を再確認することからはじめた方がいいかもしれません。このパネルを受けた金融学会の機関誌での論文では、齋藤さんや村瀬さんの論文もちゃんと検討させていただいた上、そうした点に重点をおいた議論をしてみたいと思います。とはいえ、たびたび着手の催促が入る単著本の執筆に、ようやく着手できそうで、また時間配分に悩みそうですが。(よく考えたら本の執筆三冊、やり残し二〜三冊ぐらいある。ああ。)

 本エッセーでもこれまでこのテーマを扱ったことが何回かありますが、主要なものを。
08年9月23日 大瀧雅之先生の昔のモデルがリフレ論的だった件とか小野善康先生の新しい論文の件とか
10年7月19日 「粘着価格」という自己規定は正しいか
13年6月7日 新共著では共同体主義批判!

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