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11年7月24日 30年前の置塩派は「インフレでも雇用を」



 こないだの月曜日から今度の水曜日まで大学で連続九泊です。おととい金曜日は補講日で、その日が忙しさの山場でした。1限から5限まで連続授業!
 きのうは留学予定の大学院生と研究計画について面談したほかは、特に用事もなかったので、研究室の片付けをしてたのですが、疲れきっていて他に何も手がつきませんでした。
 やっと、一段落なので、今日こそはちょっとエッセー更新。

 そういえば、この夏新書一冊書かなければならないのに、まだ一字も書いていません。ってゆうか、頭の中にもプランが固まっていないぞ。
 そういえば、「webちくま」で、若田部昌澄さんが栗原裕一郎との対談連載されていますね。
よりよく生きるための経済学入門

うん。わかりやすくておもしろいです。
 若田部さんは、リフレ論者の中でも、膨大な史料・文献の考証を丹念に行う硬派の本を書かれる人で、そんな点ではとてもかなわないから、私はせめて読みやすいイージー文章で住み分けるしかないって思ってきました。ところが、以前のエッセーでも紹介したとおり、最近『伝説の教授に学べ!──本当の経済学がわかる本』(東洋経済新報社)とか、『「日銀デフレ」大不況──失格エリートたちが支配する日本の悲劇』(講談社)とか、煽りまで入ったスラスラ読める文章を書くようになられて、これは脅威!
 と思っていたところが、今度は「webちくま」ときたかっ。ボクが以前『不況は人災です!』の元記事で編集者に鍛えていただいた「筑摩書房虎の穴」だ。この上、若田部さんがこの「虎の穴」でわかりやすく書くテクニックをブラッシュアップしてきたらどうすればいい。あらゆる点で劣った国でも輸出する財があるというリカードの比較生産費説がなんだか信じられなくなってきたぞ。ボクなんか出る幕なくなるかもって、トンデモ貿易論の説得力がにわかに増して聞こえてくる今日この頃です。
 まあ、せっかく筑摩の編集者さんのトレーニングのおかげで、自分でもだいぶ文章のわかりやすさが進歩したと思ったのに、このサイトのエッセー読み返しても、何か最近ひとりよがりな書き方とか戻ってきてるかも…。新書書き出したら、気を引き締めてかからないと。

 ところで、すでに旧聞の話ですが、6月16日に国会議員211名の署名で「増税によらない復興財源を求める声明文」が出されました。ここでは、震災国債を日銀が全額買って、復興資金を無から作ることが提唱されています。全くそのとおり。あまりに当然の提案なのですが、注目すべきは、ここに社民党の議員が四名署名していることです(声明・署名者リスト)。ようやく、ようやく革新政党の政治家から賛同者が出た。
 このかん社民党も、野に下ったはずなのに、なんか今ひとつ民主党政府との対決に腰が据わらない感じがしていてちょっと不満だったんですよ。
 だから、このままだったら、今度の選挙では、「共産党に入れよう」と呼びかけるつもりでした。たとえそれが議席に結びつかず、ただ自民党が勝つ結果になったとしても。
 そもそも選挙というのは悪い結果を出した政策の責任者に罰を与えるのが第一の役割です。現代のような複雑な世の中で、どの政策がいいかを選挙民が事前に判断することはもともと困難です。悪い結果を出したら罰せられるということが確実な予想になってこそ、政治家は必死にいい政策を探すようになるというものです。だからまずは選挙のこの役割をちゃんと機能させなければならないと思って。
 でも、復興資金を無から作ることに賛成する社民党議員が出たなら話は別だ。以前のエッセーで書いたように、共産党は依然として復興国債の日銀引き受けに反対しているし。しかも社民党もとりあえず一応は野党なんだし、民主党に入れるわけじゃないぞ。
 この四人は、阿部知子さん、照屋寛徳さん、山内徳信さん、吉田忠智さん。阿部さんと照屋さんは遠からず総選挙があるけど、もちろんボクとは選挙区が違いますね。でも照屋さんは沖縄だから、比例区と重複立候補していたら九州ブロックなので社民党に投票すれば助けになるかもしれない。山内さんと吉田さんは参議院比例区だから、個人名で投票できます。でも次の選挙は山内さんは16年、吉田さんは13年でだいぶ先ですけど。

 何度も言ってきましたけど、雇用を犠牲にしていいから物価を下げようなんて志向は、資産価値を守りたいブルジョワ派の言い分で、少々のインフレを甘受しても雇用を増やそうというのが左派の志向だというのは「世界標準」です。共産党がこんな姿勢だなんて、やっぱり日本だけガラパゴス化してるんです。昔はこんなはずはなかったのになあ、と思い出してみたら、そういえば師匠置塩信雄がその昔、弟子たちと日本経済の計量分析をして政策提言したプロジェクトがあったはずだと思いついて。そこでは、かなりインフレ容認的な政策が提唱されていたような気がするけど…。

 で、本棚を探してみたらありました。
 これ、実は、1980年代に入ったばかりのときに、当時の日本共産党系の経済学者約150名を動員して日本経済の総体を分析した大プロジェクト、「講座・今日の日本資本主義」というものがありまして、大月書店から出版されたその全10巻の最後を飾る、その名も『日本経済の民主的改革と社会主義の展望』が、置塩とその弟子たちらの手による計量分析と政策シミュレーションの巻になっています。この計量・シミュレーション研究には、菊本義治、甲賀光秀、稲田義久、山田彌、稲葉和夫、木下滋、久本久男、小川雅弘、大西広、泉弘志(敬称略)といった、今日では大物になっている人々が名を連ねています。(手法は、当時主流であった、最小二乗法で回帰した構造方程式を連立させてシミュレーションし、「ファイナルテスト」にかけるもの。)
 この本は一般向けに要約されていて、詳しいものが別途、置塩信雄・野澤正徳編『日本経済の数量分析』(大月書店、1983年)として出版されています。その第3章「民主的政策のマクロ的効果」が一番基本的な政策シミュレーションの章なので、ここではそこに出ている結果を紹介しましょう。

 シミュレーションでは、1983年以降、保守政権が続いた場合の「独占資本本位の政策」の結果を推計し、ついで、1983年に「民主的政府」(←今の若い人には通じないでしょうが、共産党が参加する連立政権のことを指す共産党系用語)が成立した場合の「民主的改革の政策効果」を推計して、両者の比較をしています。
 その結果、「民主的改革」の効果は、「独占資本本位の政策」と比べて、1985年時点で、インフレ率が4.54%ポイント高いと推計されました。インフレ率は高いのですが、貨幣賃金の上昇率が11.10%ポイントとそれを上回って高いために、実質賃金率の上昇率は、3.58%ポイント高くなります。また、実質総需要にして16兆1685億円上回り、うち消費需要は13兆2628億円上回り、その結果雇用量は13万1000人上回るという結果になっています。

 このためになされると想定されている政策は、財政政策に関しては、「独占資本本位の政策」の場合と比べて、財政赤字に与える影響が同じになるように比較されているため、支出先や課税先の組み替えになっており、マクロの総需要を極端に変えるものではないように見えます。したがって総需要に対する影響は、金融政策によるものが大きいと思います。金融政策では、「中小企業の設備投資、住宅投資を活発化させるために金利を引下げる」として、具体的には公定歩合を、保守政権の政策に比べて平均1%ポイント低くしています。また、教育予算の増加などによって、教員・公務員が増えており、それも雇用の増加に貢献しています。それから、計量的に推計された賃金決定方程式のパラメータを上げて、毎年、賃金上昇率の2%の増加がなされるようにしています。

 今から振り返ると、ボクには、この結果はかなり現実的ではないかと思えます。1980年代前半、ミッテラン社会党政権のフランスは、同時期の新自由主義路線のイギリスやアメリカと比べて、たしかに4%ポイントから5%ポイントインフレ率が高かったです。しかし、失業率は1〜2%ポイント低かった。13万人の差と言えばそれより成績が悪いかもしれません。

 この本でも、13万人の雇用差は十分なものではないと認識されているようで、さらに踏み込んだ「変革」が必要であるとされています。
 そこで、そのような「民主的変革」が加えられた場合の結果もシミュレーションされています。「低い利潤率のもとでより高い生産と投資を行う」ように、「経営委員会」制度の制定、所有の社会化が行われたとして、諸パラメータを変化させた場合の推計がなされているのです。
 それによれば、「独占資本本位の政策」と比べて、1985年時点で、インフレ率が4.63%ポイント高と前のケースより一層高く推計されました。しかし貨幣賃金の上昇率が14.62%ポイント高ともっと高くなっているために、実質賃金率の上昇率は、5.71%ポイント高と、前のケースよりも高くなります。また、実質総需要は28兆7742億円と一層大きく上回り、うち消費需要は21兆2520億円とやはり一層大きく上回り、その結果雇用量は48万6000人上回るという結果になっています。

 なお、第4章ではさらに、家計や企業を階層に分けて構造方程式を推定して、シミュレーションがなされています。第5章では、産業連関分析がなされています。精緻で網羅的な分析が行われていることに驚きます。今の左派系陣営には、これだけの政策シミュレーション分析をする力量はないんじゃないでしょうか。

 ともかく、ここでは4%以上のインフレ率の悪化を甘受しても、雇用を増加させる政策が提唱されていたわけです。しかも、保守政権以上の金融緩和政策が志向されています。
 実は、この第3章を直接執筆したのは、今立命館大学経済学部の同僚である稲葉和夫さんです。先日これを読んだ後、稲葉さんに直接この件について話をしてみました。
 稲葉さんは当時高知大学の助教授だったのですが、月に何度も置塩師匠に宝塚に呼び出され、原稿を何回も書き直させられたそうです。つまり、この研究の結論は、置塩自身の考えであると言って間違いないということです。
 そして驚いた証言。稲葉さんはなんと、「国債の日銀引き受けを検討すべきかもしれない」ということを書いたそうです。そして、それが置塩にも認められたと。
 しかし、「講座・今日の日本資本主義」プロジェクトの別の巻、金融だったか財政だったかの巻の担当の大物の先生からの強硬な反対で、削られてしまったそうです。

 いやあ、大インフレの記憶覚めやらぬあんな時代に、そんなこと書くとは。たぶんボクには怖くてできませんよ。すごいですねえ。

 ところで、前回のエッセーでアップした、性感染症医の研究会での講演のスライド、本サイトの「講演資料」のコーナーに掲載するのを忘れてたので、今日載せておきました。
 前回のエッセーといえば、そこで書いた、カミさんの買ってきた子猫の名前ですが、カミさんが、模様がウリボウに似ているからというので「うり坊」と名付けています。最初カミさんから、名前どうしようかと聞かれたとき、
「イケノブ」
って即答したんですけど、即却下されちゃいました。


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