松尾匡のページ

私の主張8:非営利・協同ネットワークと個人のアイデンティティ


 「私の主張7」では、国家でも市場でもその中間でもなく、非営利・協同ネットワークを発展させていくことがこれからの社会主義運動の課題だということを述べた。しかし、協同組合で世の中を変えようという主張は昔々からあったのに、これまでそれが大きな潮流になったことはなかった。その理由は、資本主義的競争の真っただ中でその競争に伍してやっていこうとすると、結局利用者の利益を無視した営利追求に走ったり、組織内民主主義が形骸化されて執行部が支配階級化したり、職員が資本主義企業の被庸者以上に搾取されたりして、結果的に資本主義企業と同じものに変質してしまうからである。もしそうしなかったら、今度は採算がとれなくなってつぶれてしまい、やはり一般メンバーに被害をもたらす。この鉄の法則は、たとえ資本主義企業がなくなってすべて協同組合になったとしても、市場競争がある限り貫かれる。ところがそれが、ここ十数年急に世界中で非営利セクターが隆盛をはじめ、世界中の研究者の注目を集めるようになったのには、もちろん理由があろう。いうまでもなく、近年のめざましい情報手段の発達によって、メンバー一人一人が日常的に組織の意思決定に参加することが容易になったし、大企業や政治の仲介なく様々な人々を直接結んで事業ができるようになったためであろう。

 しかし、依然として資本主義的変質の鉄の法則から我々が完全に免れるわけではない。いかにして我々はこの変質を避け、このネットワークを資本主義企業に伍して発展させ得るのだろうか。これは次のような経済史の古典的問題と似ている。封建制下の農民が商品生産を始め、民富を蓄積してのし上がってきたとき、最も自然な道は土地を集積して地主になることである。実際、日本の江戸時代後期にはそのような例が多かった。ではなぜ西欧では、地主になる者以外に、製造業の事業に投資してブルジョワジーになっていく者が現われたのだろうか。その答えとしてウェーバーの「プロテスタントの倫理」を持ち出した経済史家は安易だったのかどうか、門外漢の私には判断はつかない。だがひとつの説得力ある議論ではある。

 バブル景気に際して生協が目先の利益にとらわれて野放図な経営を行ったのが、ここにきて裏目に出て破産に追い込まれる例があいついでいる。労働組合は果てしない対資本迎合の末、組織率低下が止まらず、いまや会社の従業員向けイベント企画部の様相を呈している。部落解放同盟の地方組織が自民党候補を推薦し、全国組織はついに「階級闘争」を撤回した。学生の政治集会がなくなったのは言わずもがな、いまや大規模なダンスパーティのビラにもとんとお目にかからない。70年代までのイデオロギー過剰な運動が、解放さるべきはずの民衆をかえって抑圧してきたことを反省し、80年代の運動は主義主張にこだわらない身の回りの実感に基づく運動になることを標榜した。ところがそうした運動を切り開いた先駆者達は、実は左翼的価値観を隠し持っていたからこそ運動に奉仕できたのである。隠れた本音のイデオロギーが本当に忘れられ、建て前を間に受けた世代がバブルと共に全面に出るようになると、運動は身の回りのこと、目先のことしか考えないようになっていったのに、先駆者達は世相の全般的な高揚感の中で、あたかも自分達の望んだ方向が社会に受け入れられていったかのような自己満足に陥ってしまった。ところが、バブルが崩壊し、気がついてみると、自分達が望んだのはこんなものではなかったというような惨状である。

 ここにきてはじめて我々は気付いたのである。我々80年代冒頭の相対主義運動の先駆者は、それ以前のイデオロギー過剰な社会主義運動を「抑圧である」としてさんざん馬鹿にして蹴飛ばしてきたのであるが、実はそれは運動の正常な発展に不可欠な一種の倫理性をもたらしていたのであると。戦後50年近くにわたって日本では、親米政権の支持者が集団主義・非合理主義の傾向を持ち、アメリカ的な個人主義・合理主義者は反米左翼になるというネジレがあったが、その理由のひとつは次のように思われる。本来西洋的な個人主義・合理主義は、各自の内面の良心を支えるものがあってこそ成り立つのであるが、もともと欧米ではキリスト教がそれを担っていた。ところが戦後すでに神なき科学の時代に個人主義、合理主義を取り入れた日本人達にとっては、いまさら洗礼というわけにはいかない。そこで社会主義がその役割を果たしたのである。この一種の倫理感は「マルクス・レーニン主義」の公式教義の中には言葉として記されておらず、工業都市や炭鉱町の勤め人の間で自然に形成された一種の文化の中で保持されたものである。すなわち、職場は組合が支配し、公団住宅や社宅に住み、生協で消費財を買い、娯楽は組合からチケットがまわり、冠婚葬祭は仲間の委員会で主催し、といった中で形成された文化である。そこには、自分だけの出世や蓄財のために仲間を裏切ることを恥じ、荒々しくも互いに助けあい、出身の田舎との血縁より同志愛の方を重視する倫理感があった。それは、同じ環境におかれたすべての工業労働者に、民族を超えて直訳で通じる共通性を持っていた。

 この文化を、我々は目くじら立てて破壊したのである。なるほど、キリスト教がときにはひどい独善を押し付けて多くの人に悲惨な迷惑をもたらしたのと同様のことを、旧来の社会主義イデオロギーもしてきた。我々はそれが許せなかった。しかし、やがて来る人類解放のときのためにがんばろうというエートスが、やはり西洋におけるキリスト教同様、戦後ようやく立ち上がった日本の「個人」の内面を支え、運動に社会的意義をもたらしてくれたことも否定できない。だから、我々がこれを破壊したあとで、運動がとめどなく利己追求に走ったり、運動自身が消滅してしまったりするのも当然なのである。おまけにソ連東欧体制が崩壊し、「社会主義」や「共産主義」に対する信頼は地に落ちている。もちろん唯一神の出る時代でもない。それなのに、旧来の日本の相互監視型集団秩序は現実経済の進展の中で容赦なく解体している。個人ならぬ、内面の自律なき「孤人」が大挙出現したときに、ある得る道は、「万人の万人に対する闘争」か、アナクロ伝統倫理を外から強制することで秩序を回復することかどちらかしかない。そして、情報化とグローバル化が鉄をも貫く勢いで進む現在、この後者の道をとることは、「私の主張1」に掲げた年表の右列を左に合わせて埋めていくことになるのである。

 それゆえ非営利・協同セクターと言っても、今日の社会運動全体をおおう惨状の中では、しょせん堕落は免れないだろう。必要な事は、80年代に我々相対主義運動が破壊した左翼の文化、倫理を復活させることである。もちろん、旧来型の社会主義イデオロギーそのままでは、もはや今日通用しない。いったい旧来の社会主義運動のどこが変えられるべきで、非営利・協同ネットワークの発展のためにはどのような価値観を新たに作り出していけばよいのか。

 我々がかつて嫌悪していたものは何だったか。独善的な主義主張にとらわれて大衆の自然な実感を抑圧し、セクト主義的なひきまわしや陰謀、暴力などを平然とやって恥じない態度であった。なぜこのようなことが正当化されていたのか。そのイデオロギー的根拠は、唯物史観に対するプレハーノフ、レーニン流の解釈にあると思われる。すなわち、唯物史観の示す歴史の発展法則は人々の実感の外で「客観的」に流れているのであり、それは支配的イデオロギーにとらわれない「科学的」目を訓練された知識人にしてはじめて到達でき、あとから労働者大衆の頭の中に注入されるものだという解釈である。これは、疎外論の発展としてできているマルクスの唯物史観とは違う。初期マルクスの疎外論は、人間の本質たる社会性を司る観念が、具体的個々人の感性から抽象されて外に自立し、逆に個々人の感性を抑圧してくることを、疎外と呼んで批判し、しかしその観念は究極的には個々人の感性のもとに取り戻されるものであることを主張した。この人間の社会性を司る観念が、後に「上部構造」と言われる概念に発展し、個々人の感性の総体が、後に「土台」と言われる概念に発展したのである。したがってここでは、個々人の感性的実感に基づいて上部構造を取り替えようという方向が、土台の変化に照応する上部構造の発展という唯物史観の合法則的方向と矛盾せず一致する。プレハーノフ、レーニンに至ってはじめて、合法則的「真理」が個々人の感性と合致するかしないかにかかわらず受け入れさせるべきものになったのである。

 しかしもちろん、このような解釈をしたプレハーノフやレーニンが錯乱していたわけではなく、「私の主張6」で述べてあるように、これは重工業化以後の20世紀の段階の資本主義がもたらした条件への、ひとつの可能な対応であった。すなわち、それ以前にはマルクスの立場が成り立ったのはなぜか。19世紀型の資本主義によってすべての伝統的風習や技能を奪われて、全人類に共通する生理的部分だけが残ったプロレタリア大衆にとっては、その日々の感性的欲求が直接に自然科学的普遍性を持っていたからである。ところが重工業化を経て独占資本主義段階になると、労働者が様々な複雑労働者や単純労働者に分化する。複雑労働者は、複雑労働力商品を生産し、それをあたかも優秀なものに見せて高く売るために、単に自然科学的普遍性を持った生存維持の欲求だけではなく、グループごとに相異なる様々な文化的幻想的欲求を抱く。だから、労働者各自の実感は、そのままでは社会の普遍的法則と必ずしも一致せず、結局、社会法則はそのような世俗の実感にとらわれない理性によって「客観的」に探究され、好むと好まざるとにかかわらない「真理」としてあとからもちこまれるほかなくなるのである。

 そう考えると、今日、「私の主張4」に述べたように、現代資本主義は再び19世紀資本主義と同様の作用を、世界中の人々にもたらしており、プレハーノフ、レーニンの立場を成り立たしめていた条件は解消されつつある。たしかに、「私の主張7」に述べたように、我々はこの窮乏化による低位普遍化の傾向を推進するべきではない。それゆえ個々人がそのままでは決して全面的に普遍的ではなく、様々に異なる個性を持って、生存維持を超える様々に異なる欲求を持っていることを出発点にしなければならない。だが、だからといってレーニン、プレハーノフ流の立論がこれからも許されるわけではない。ではどうすればいいのか。「私の主張7」の方針は、非営利・協同ネットワークを拡充させていくことを通じ、人々が様々な他者の属性を理解し我がものとすることで、普遍化していくということであった。社会主義運動の新しい基本原理は、この方向を正当化し、推進するイデオロギーでなければならない。

 私が提唱するのは、唯物史観を進化論的に解釈することである。マルクスの唯物史観は、疎外論の一種として解釈するのが正しいが、それはそのままでは、個人の主観が物質的条件と直接に一致する時代にしか、実践原理としてあてはまらない。個人が物質的条件と必ずしも一致しない様々な観念を抱くような時代には、どのようにして唯物史観は貫いているのだろうか。「自然淘汰」であろう。

 安定的な生態系の状態は、各遺伝子の横にらみの結果であり、したがってそれは同一の外的環境に対していくつもあり得、そのどれが現実に選ばれるかは歴史的初期条件に依存する。だからその状態は外的環境に対して必ずしも最適に適応したものになっているわけではない。各遺伝子は、突然変異などでこの状態からズレようとするが、結局はまた引き戻され、安定的秩序が維持される。これが疎外の状態、上部構造の土台からの自立の状態に対応する。ここにおいては、個々人の抱く観念は、社会全体の観念の安定な分布状態である上部構造によって規定され、突然変異的にそれに逆らった観念を抱くものがあっても、すぐさま抑え込まれてしまう。しかし、外的環境の変化が進行すると、その変化に適応した突然変異が生態系のマイナーな位置に勢力を温存し、やがてその変化がある点に達したとき、それらは俄然勢力を拡大し、安定な生態系の状態が外的環境によりよく適応したものに急速に移り変わる。同様に、物質的土台の状態が変化していくと、その変化に適応した新観念がマイナーな位置で少しずつ広がっていくことになり、やがてどこかの時点で、旧来の上部構造を構成していた支配的諸観念を押し退けて、急速に支配的位置に広がることになる。

 例えば、古代社会において君主個人の実力によって左右されるような生産力段階のもとでは、しばしば君主の死に際しての殉死の風習があったが、この現実的意義は、君主の身近にいてその命を狙える立場にある者達を、君主と一蓮托生の立場に置くことで、暗殺を防ぐということにあった。しかし本人達は大真面目で君主に殉じる美学を信じ込んでやっていたのかもしれない。それが、結果として殉死の風習を持たない部族はクーデターが相次いで政情が安定せず、殉死の風習を持つ国力が充実した部族に圧倒されてしまうということを通じて社会全体に広がるのである。ところが、生産力が発展し、君主個人の実力より官僚制度によって社会が動かされるようになると、殉死の風習があると君主の代替わりごとに官僚機構が入れ替わることになり、極めて非効率になる。したがってこのような場合には、殉死が廃止されることが物質的条件にかなっている。これも本人達は殉死者への本心の憐れみから決めたことかもしれない。しかしこれも、殉死を廃止した部族の方がそれを続けている部族よりも強くなることによって、結果として社会全体に広がったのである。また、かつて人類はどこでも食人の風習を持っていたものだが、他部族の者を奴隷として使用できるような農耕や遊牧の段階の生産力になると、それに照応して食人を禁止して占領地の捕虜を奴隷にするようになるのが常である。これも当人達は大真面目で食人は残虐野蛮だと信じ込むようになったのかもしれない。しかしそれが、食人王国と食人を禁止した農耕・遊牧帝国との戦争に際して、近隣の中小諸部族が「食われるよりは奴隷のほうがまし」と、我先に農耕・遊牧帝国の軍門に下り、結果として食人王国が軍事的に圧倒されることで、社会全体に広がったのである。

 このように、各個人の自由な創意によって様々に考え出された観念のうち、社会の物質的土台に合致したものが、人々の間の各種の競争や対話、交流を通じて広がっていき、やがて社会の主要な上部構造を形成するようになるという形で、唯物史観は貫かれるのである。これが唯物史観に対する私の進化論的解釈である。ではこれが、どのような意味で、先述したこれからの社会主義運動の基本原理となるのだろうか。

 我々は旧来のレーニン、プレハーノフ流唯物史観の指導した社会主義運動の、どこを反省したのだろうか。前衛党だけが歴史の真理を見定めることができ、大衆にとっての自由はそれを後から受け入れて自分のものにすることにのみあるという点である。しかしこれによって、前衛党の示す社会変革の必然性を確信した人々は、ときにはわが身を犠牲にしてまで革命運動に奉仕することができたのであった。前衛党の言うことにしたがってがんばれば、たとえこの身が滅びても、自分の主体の存するこの自分の観念は、やがて未来の共産社会の上部構造となって永遠に生き続け、人々を幸福にし続けることができると確信されたからだ。つまり、言わば「魂が救われる」のである。ところが我々80年代相対主義運動がもたらしたものは、この「魂が救われる」確信の破壊であった。そうであるならば、いかに非営利・協同セクターとはいえ、誰が献身的になろうか。目先の営利追求に走ったり権力におもねったりするのも当然の結果である。むしろ新興宗教の方が、またはナショナリズムの方が、あるいは世俗の上部構造に評価されるだけの財産と子供を作り上げる生き方の方が、人生を賭けた自己観念を後世に残せそうではないか。

 それに対して進化論的唯物史観を自覚した者は、再びこの「魂が救われる」可能性を取り戻すことができる。だが今度は、これにしたがえば「魂が救われる」というような前衛党はいない。生物進化をもたらす出発点が個別遺伝子の突然変異だったように、社会変革をもたらす出発点もあくまでも個人である。個人が、自分の身の回りでの日常的な感性的実感に合致するように、既存のイデオロギーから様々の方向に変異した新観念を抱く。そしてそれが人々の感性的条件に普遍的に合致したものであるならば、やがては人々の間に広がっていき、ついには社会全体の上部構造の一環となるだろう。つまり「魂が救われる」のである。ただし、新観念の創造は、遺伝子の突然変異同様、本質的に偶然によるという意味で個人の自由に任されている。当人はそれを、必ずしも歴史の発展方向を正確に認識しないで、様々な主観的価値観にかられて打ち出していてよい。ということは、それがいかに自分の身の回りの感性的条件には合致していても、他者の感性的条件には合致せずに受け入れられない可能性もあるのである。もしそうなったならば自己観念が社会全体の上部構造として残ることはできない。つまりこの場合「魂は救われない」のだ。様々に打ち出された個別観念の中から、「自然淘汰」によって、人々の感性的条件に最も普遍的に合致するものだけが生き残って、広がっていくのである。そうであるならば、自己の人生を賭けた自己観念が生き残れるかどうか、「魂が救われる」かどうか、事前には誰にもわからないということになる。これは大変な不安である。

 この不安をどのように克服すればよいのか。やってみて確かめるしかない。様々な非営利・協同ネットワークの場面の中で、自己の観念に基づいて活動して、実際に人々の生活を作ってみることだ。それが周りの人々の感性を傷つけず、便利なもの、楽しいもの、人々の感性的条件に合致したものとして受け入れられたならば、当面その観念が否定されなかったことが確かめられる。しかし、それがまだそのネットワークに加わっていない別の部面、別の階層、別の民族の人々の感性的条件にも受け入れられるものであるかどうかはわからない。もしかしたらうまくいかなくて否定されるかもしれない。そうであるならば、各人は生きている限り、自己観念の普遍妥当性を確かめるために、常に自己の活動する非営利・協同ネットワークを広げ、どんなに広がってもその活動がうまくいくように自己観念を革新し続けなければならない。そしてこれに成功したまま死を迎えた者は、この自己のアイデンティティーを賭けた観念が、自分の死後も、この幅広いネットワークの活動を司る共同観念の中に残り続けるだろうと確信することができる。そしてそれが、やがてこのネットワークが全地球をおおいつくした暁には、全人類の上部構造の一環として人々の幸福な生活を作り続けることになろうと、確信することができる。実際には、まだ見ぬ別の分野の人々の感性的条件に受け入れられずに否定されてしまうかもしれないけれど、死に行くものの主観としては「人生無駄ではなかった。私の魂は地上において救われる」と信じることが許されるのだ。

 こうして、進化論的唯物史観は、非営利・協同ネットワークで活動する人々に、その日常の、必ずしも英雄的でないチマチマした活動に対する誇りと自信を与える。この、「カッコワルイワタシ」の日常が全社会のトータルな変革につながっているのだという確信こそが、国家独占資本主義の解体によって作られる個人にとって、内面の自律を支えるものとなり、非営利・協同ネットワークの様々な活動が、目先の営利追求にも、権力追従にも、セクト主義やカルト主義にも、寡頭支配にも、ナショナリズムにも陥ることなく、民主的開放的に発展していくためのエートスを提供するのである。

参照:拙著『近代の復権』第6章(「著書」

 

 

 
 

 

「私の主張」へもどる

ホームページへもどる