松尾匡のページ 14年9月5日 夏のご報告:景気講演とか藤田暁男研究会とか
エッセー更新二ヶ月近く空けました。いつもにまして激動の夏だったので。すみません。
まずこのかんに、本サイトトップページの短信に書いたものを、記録のためにコピペしておきましょう。
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5月3日のエッセー で、「滋賀県の嘉田知事は7月の知事選挙に出ないそうで、後任は今の民主党では勝てる見込みは薄いですねえ。滋賀県知事まで自民党の手に落ちると思うと気持ちが沈みます」と書きましたが、予想をはずしました。すみませんでした。早まったことを書いた不明を恥じます。はずれてとてもうれしいぞ〜!
しかし、もともと嘉田さんが自民党候補にダブルスコアで勝つ土地柄で、原発だの集団自衛権だのセクハラやじだの、自民党側に不利なイシューがこんだけそろって、圧勝して当然の中での大接戦だったのだから、やっぱり浮かれずに総括して欲しいです。滋賀県はアベノミクスの恩恵の強い上下の層が他より薄い「中流県」だから、どこでもこんなふうにいくと思ったら駄目でしょう。 (14年7月13日)
とんでもない重大なミスが判明しました。21日の講演の準備をしていて気がついたのですが、私はなぜか次回参議院選挙を来年と勘違いしていましたが、再来年でした。どうしてすっかりこんな初歩的な思い違いをしていたのか、深く恥じ入る次第です。急遽本サイト内でこの思い込みを書いてしまっているところを探したところ、今年の、1月12日のエッセー 、5月3日のエッセー 、5月12日のエッセー で見つかりましたので、訂正いたしました。もうしわけありません。もっとあるかもしれませんので、お気づきでしたらご指摘下さい。また、講演や授業などで、この間違いに基づくことを言ったかもしれません。その場合は、深くお詫びし、訂正もうしあげます。(14年7月14日)
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いやこの7月14日のお知らせの件は、かえすがえすも恥ずかしい。本当にお詫びするしかないです。まあこっちとしては、これまでの思い込みよりも一年猶予ができたら、それまでには戦後民主主義を守る側はなんとか少しは持ち直せるかもしれないと、ちょっと気が楽になりましたけど。
◆ 7月21日:反貧困ネットワーク京都さんでの景気講演
ところで、前回のエッセーで予告しておりました、7月21日の反貧困ネットワーク京都さんでの講演は、自分の主観としては質問も盛り上がって無事終わったように感じましたが、さて果たしてご納得いただけたかどうか...。今月には反貧困ネットワーク京都さんの浜矩子さん講演もあり、どちらに説得力を感じていただけるか気がかりなところであります。
そういうこともあって、今回のパワーポイント資料はだいぶ気負って作りましたので、ご質問に備えた部分も含めて、これまでの景気関係講演資料の集大成みたいなものになりました。「講演資料」のコーナー にアップしておきますので、是非ご覧下さい。
今回パワーポイントで更新したグラフで面白いものをひとつ。
二年以上前の12年6月5日のエッセー で、日本の一人当たり栄養摂取量が減り続けていて、現在、エネルギーについては戦後すぐの水準に満たず、タンパク質についても1950年代前半の水準にまで落ちているというグラフをお見せしました。もちろん、高齢化が進んでいますので減る傾向が出ること自体は当然なのですが、20歳代にかぎってみても90年代後半以降減り続け、男女合わせた平均が厚生労働省の定める女性の基準にも全然足りていない状態になっています。
そして、これが失業率と逆に動いているのではないかと示唆し、やはり不況のせいなのではないかと問題提起しました。
それが数ヶ月前、発表後二年もして突然ネット上で注目されて、はてなブックマーク も急に二倍に伸びました。そこでは、本文中にも書いた、食生活の高度化とか、ダイエットとかが原因ではないかとのご意見をやはりいただきました。
その時点では、最新データが2010年でしたので、リーマンショック後の失業の影響さめやらぬ頃。栄養摂取量は低下を続けていたわけですが、ご指摘の構造的な原因で減り続けている側面はあると思いますので、どこまで貧困のせいと言えるかは疑問をいただいても不思議ではありません。
しかしその後、失業率は減っていきました。栄養摂取量がこれを反映して上がり出したならば、やはり不況のせいだったと、ある程度言うことができると思います。
今回の講演準備の時点では、2012年までの栄養摂取量データが公表されていました。さあ、果たしてどうだったか。
じゃ〜ん
最後上がっています!
もちろん、依然として、エネルギーについては戦後すぐの水準に満たず、タンパク質についても1950年代前半の水準という状況に変わりはないのですが。
では20歳代のデータで見てみましょう。一人当たりエネルギー摂取量と、20代前半の完全失業率、20代後半の完全失業率を重ねてグラフにかくとこうなりました。やっぱり、失業率が上がっているときにはエネルギー摂取量は減り、失業率が下がっているときにはエネルギー摂取量は上がっているように見えます。
講演では触れませんでしたけど、一応回帰分析もやってみました。サンプル数が18しかないし、ダービン・ワトソン値が0.69しかなくて誤差の系列相関があるので、あんまりこんなことする意味ないのですけど。20代エネルギー摂取を25〜29歳失業率で回帰したら、重相関係数73.2%(自由度修正済み決定係数50.7%)で社会科学としては高い方、失業率の係数のp値は0.0005と十分小さく一応有意っぽいです。ま、あくまで参考にということで。
散布図はこんな感じ。
(ちなみに、今これに説明変数にトレンドも加えて回帰分析してみたら、重相関係数93.7%、自由度修正済み決定係数86.2%と良好で、5%水準のdU が1.53のところ、ダービン・ワトソン値が1.54で誤差の系列相関もないといういい結果になりましたが、トレンドの係数のp値が小数点以下五桁の微小値と、ほとんどそれで説明されてしまい、失業率の係数のp値は5.4%と、ちょっと惜しい微妙なところになってしまいました。)
講演では当然、消費税増税の悪影響はひどいぞということについてもお話しました。パワポでは、片岡剛志さんの「増税後の落ち込みは「想定内」ではない」 というレポートや、高橋洋一さんの「過去33年でワースト2!消費税増税がもたらした急激な消費落ち込みに政府は手を打てるか」 というウェブ記事の恐ろしい「落ち込み」グラフをお見せしました。
実は、2年生のゼミで、拙著『不況は人災です!』をテキストにしてグラフかいたりしているのですが、前期の終わり頃、個人消費とか企業設備投資とかいろいろの需要項目の変化がそれぞれどれだけ寄与して経済成長がもたらされたかという、いわゆる「寄与度分析」が四半期ごとのデータで調べられることを勉強しました。そして、消費税増税後のデータが夏休み中に出るはずだから、各自調べてエクセルでグラフにして下さいというのを夏休みの課題にしていました。
そしたら、数日前見てみたら、早速やっているゼミ生がいる。私はまだデータ見てないので、提出してくれたファイルを興味津々で開いてみました。そしたらこんなのだった。
うわあ、案の定悲惨だわ。やっぱり教科書的標準経済理論は裏切らない。
この右端のが最新データですけどね。すごい消費の落ち込み。住宅投資も設備投資も減ってるし。
民間在庫品増加がかなりの割合でプラスになっていますが、これは、いわゆる「意図せざる在庫増」ですね。わざと在庫投資するのも、売れ残って在庫が積み上がるのも、データ上は区別できないからみんな経済成長に寄与したことになっています。その分が見かけ上成長を押し上げていますから、次回のデータではこの分がはげ落ちて足を引っ張りそうです。
こんな悲惨なデータが出てるのに、政府も日銀もなんか悠長に見えるんですけど。
講演はもちろん、改憲と戦後民主主義破壊に執念を燃やす安倍さんは、きっと消費税再引き上げを延期して、派手な景気対策を打って、選挙の年16年を好況の中で迎えるようにもっていくに違いない、我々はそれに対抗できるようにならなければならないと訴えました。でも、この今のもたもたぶりを見ていると、ひょっとしたら敵さんはそんな合理的ではないのかなという気もしてきます。10%引上げ派だった谷垣さんを幹事長にするくらいですから。
このまま政府が手をこまねいていたら、ましてや消費税を予定通り再引き上げでもしようものなら、そのときこそ安倍政権は崩壊です。その結末はせめてもの救いだし、目前に重くのしかかっていた悪夢から解放される思いがしますが、それが、たくさんの人が職を失い、人生狂わされることでもたらされるのはやるせないことです。しかも、安倍自民党が選挙に負けて、次に勝つ勢力が少しはマシな勢力かというと、歴史を振り返って、恐慌の中で世論が流れがちな方向を考えてみれば、輪をかけてトンデモな右翼政権ができそうな気もします。
この講演の内容は、来月か再来月ぐらいにシノドスさんで記事にしてくださるようですのでご期待下さい。
講演後、シノドスさんから掲載料いただけるという話だったことを思い出して、最初にもらった講演料をカンパし返しちゃった。同じ額だったんで。やっぱり「反貧困」のための活動費から受け取ったら心苦しいし。
それにしても、企画いただいた反貧困ネットワークのWさんには、いろいろお世話になりました。体調を悪くされて高熱を出している時に、お送りした大量の資料を印刷してくださって、本当に恐縮です。終わってからも、まだ咳が残っていらっしゃったのに、会場から延々歩いて帰るのにつきあって下さったし。あのあと病がぶり返さなかっただろうかと心配です。
そういえば、この講演のあとはシノドスさんの連載原稿の仕事があったのでした。なんとか7月中に掲載いただけました。それがこちら。
「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の悪いとこどり:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』
これが26日にできたので、翌日に経済理論学会関西部会が立命教員主催であったのですけど、報告者の一人の論文を読んでコメントを用意することができました。
◆ 8月5日・6日:加賀市橋立でセンの読書会合宿
実は、21日の講演、前々日19日は立命館の経済学部のあるキャンパスで、故置塩師匠OBらによる置塩研究会があって、翌20日は学部時代の師匠、藤田暁男金沢大学名誉教授の80歳の傘寿祝賀会が金沢であり、次の日にまた取って返して午後京都で講演するという強行軍でした。
その藤田さんの傘寿について、記念に研究会もしようということになり、8月7日にまた金沢で研究会を開いて、私が藤田さんの研究業績をまとめた報告をすることになりました。
というわけで、シノドス原稿のあとは、その報告の準備だ!
それに先立つ8月5日、6日は、石川県加賀市の橋立町という港町にある「北前船」という民宿で、大学院生らとセンの読書会合宿(訳書ですけど)をしました。
この「北前船」さん 、江戸時代の海運商である北前船船主の家をそのまま民宿にしているところで、襖と言い、欄間と言い、掛け軸と言い、板絵と言い、文化財の塊のようなすごいところです。近代になってからは、漁師さんになられたのですが、もう魚も捕れなくなったので旧家を利用して民宿を始めたとのこと。
院生が撮影した襖。狩野派の絵。こんなのがいくつもある。
朝食をいただいた板間は、宝生能の稽古場に使われたそうで、先代のおかみさんの勇姿が飾ってある。パリにまで公演に行ったそうです。今のおかみさんも心得があって、お謡の本がいっぱい。
戦前や戦後すぐ頃の婦人雑誌や児童雑誌も置いてあります。
橋立漁港もすっかり魚が捕れなくなったそうで、夏の禁漁期間に当たって地の魚は何も食べられなかったのですけど、いただいた朝食や町で食べたごく普通の料理がとてもおいしかったです。
ちなみに橋立は温泉で、近くの住民向け温泉に入りにいきます。ここは塩湯でぬるぬるの泉質です。
食事のたびに盛り上がって時間かけたり、北前船資料館に行ったりして、結局夜中まで読書会したわりには予定よりはるかに少ない進行に終わったのですけど、なんか充実感。
◆ 8月7日:藤田暁男傘寿記念研究会
そして7日朝金沢に移動して、旧第四高等学校校舎の記念館での藤田傘寿記念研究会に合流しました。
藤田暁男さんは、私が金沢大学の学部3年生・4年生のときのゼミの指導教員でした。大学院は神戸大学で置塩信雄師匠のところに進みましたが、実家が石川県ですので、藤田さんには帰省の機会のたびにお会いして話をしました。
当人は生まれは満州で、少年時代に引き揚げてからは現久留米市の田主丸町に暮らし、ホリエモンらが出ている久留米大学附設高校から久留米大学商学部に進みました。私が最初に就職したのは久留米大学で、藤田さんには事前に何の連絡もしてない偶然ですが縁を感じます。でも結局久留米大に16年いた間OB会関連でも名前も見たことなくて、当人はすっかり縁は切れている感じですけど。
そこから九州大学の大学院に進んで、向坂逸郎の弟子筋の高木幸二郎のもとで学び、三池闘争のときには三池で闘争支援していました。
こんな話は本人は全然してくれてなかったのですが、傘寿祝賀会の音頭をとった桂木健次富山大学名誉教授は同門の後輩で、このとき一緒に「三池の闘志」をやっていたそうで、研究会のあとの飲み会でもいろいろ教えて下さいました。
1963年11月9日に、三井三池炭坑炭塵爆発事故という大変悲惨な出来事がありました。458人の死者、839人の重軽傷者を出して、その後脱出者からも一酸化炭素中毒で苦しむ人生をおくった人が続出しました。二人はこの事故に居合わせていて、次々と死体が上がってきて洗浄される様子を見ています。
このとき二人は炭坑住宅に翌朝全戸配布する謄写版のアジビラを徹夜で書いています。桂木さんが書いたのに藤田さんが修正を入れて、それに藤田さんがつけた題名が「人間の叫び」 。その後、この「人間の叫び」は炭坑住宅住民向けの情報紙として発刊が続けられ、今では第一級の闘争史料になり、記録映画のタイトルにまでなりました。こちらに桂木さんが経緯を書いています。
三井三池炭坑炭塵爆発事故の前後
今日はあらためて、三井三池炭鉱炭塵爆発50年。
ちなみに、私が久留米大学にいたときに大学院で教えたことのある院生が、その後仏教大学の博士課程に進んで、この三井三池炭坑炭塵爆発事故をテーマに博士論文を書いています。ミネルヴァから本になっているのでよろしく。社会福祉学の立場から労災問題を扱った、おそらく最初の業績だと思います。
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アマゾンで誰かが星五つの絶賛レビューをしていますね。私もそこに書かれている通りだと思います。
この本では、当時の政府の全体的な政策のなかで事故を位置づけていますが、これを読んで、当時一産業をターゲットになされたことが、「構造改革」以降、全製造業、全国民経済をターゲットに遂行されているのだということがよくわかります。昔のことではないのだよ。今、規模を大きく膨らませて全国で起こっていたことなんだよ!
そういえば、サッチャー政権に追いつめられる炭坑町のブラスバンドを描いたイギリス映画『ブラス!』では、団員それぞれがこれでもかと悲惨な目にあっていく一方で、バンドは大会を勝ち進み、とうとう優勝した表彰台でバンドのリーダーである老鉱夫はこんなふうに演説します。
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"... over the last ten years, this bloody government has systematically destroyed an entire industry. OUR industry. And not just our industry -our communities, our homes, our lives."(「この十年にわたって、この国の血も涙もない政府は、ひとつの産業をまるまる体系的に破壊してきました。私たちの産業を。いやそれは単に私たちの産業にとどまるものではありません。私たちのコミュニティを、家庭を、暮らしを破壊してきたのです。」)
小泉改革以降この国のブラディ・ガバメンツのやってきたことは、an entire economy、ひとつの経済まるまるを体系的に破壊してきたんだ!
桂木さんは、もうだいぶ前から積極的なリフレ論者ですけど、こういう体験をした人からすれば当然ですね。
ちなみに、桂木さんが富山大学で岩田規久男さんの息子さんを採用したのは、これとは全く関係がないそうで、そのときには息子さんだという認識もなかったとのことです。
しかしこの本の中で出てくる、被害者の奥さんたちが上京して役所の中に座り込む要請行動。責任者は誰かと聞かれて、「責任者は私です」とみんな口々に叫んだというエピソードは、映画『スパルタカス』の「スパルタカスは俺だ!」を思い出しました。
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ユーチューブリンクついでに、三池炭坑労組の歌もハツネミクバージョンでどうぞ。
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藤田暁男さんは、まだNPOという言葉もない90年代はじめという非常に早い時期に、非営利組織や協同組合が中心となって、主に福祉や医療、教育、文化、子育て支援などの分野で、地域のコミュニティの中から、資本主義的でも官僚支配的でもない協議にもとづく社会システムを発展させていくという展望を論じはじめた、日本における先駆者の一人として知られています。この考えはすでに80年代のまだソ連がある時期から形成されており、私自身が、ゼミ生としてその思想形成過程に立ち会い、互いに影響を与えあってきたのです。
そして、実践の上でも、「いしかわ市民活動ネットワーキングセンター」 通称「i−ねっと」という、NPOの連絡・支援のNPOの創立者の一人となり、その理事長を務めました。また、地域生協の理事長も務め、現地における非営利・協同セクターの定着と発展のためにつくしたわけです。
しかし藤田さんは、もともと労農派の流れを引くマルクス経済学者です。しかもそれだけではなくて、マーシャル研究者という顔も持っています。今日のミクロ経済学教科書の基本を20世紀冒頭に確立した、新古典派の大物ですね。今最後の仕事と称して、これまでのマーシャル研究をまとめていらっしゃいます。
そしてこの二つの研究から導かれるものが、必然的に非営利・協同セクター研究に流れ込んでいるのです。
私は研究会での報告のために改めて藤田さんのマルクス経済学研究の本を読み返し、その基本的なロジックに自分がいかに影響を受けてきたか認識しました。本当に、もっと世に知られるべき業績だと思います。
そして、学問の内容だけでなくて、姿勢も学んだのかもしれません。
もともとマルクス自身、重商主義と古典派という対立する二派の批判的総合という立ち位置にあったし、マーシャル自身も古典派と新古典派の総合をした人です。その両者をまた両方ともこだわりなく勉強されたわけです。
研究会で、藤田さんの恐慌論は「過少消費説」か「過剰蓄積説」かという質問が出た時、ご本人は「両面ある」とお答えになっていましたが、「らしい」お答えです。私がであって最初の頃に、藤田さんに質問したことの一つが、「生産の社会的性格と所有の私的性格の矛盾」というときの「生産の社会的性格」というのは、個別資本下の協業の拡大のことをさすのか、経済全体の社会的分業と依存関係の発展のことをさすのかということでしたが、これも「両面ある」ということでした。
まあ当時から私は、学内唯一の無党派自治会の経済学部自治会の執行部にあって、学内の民青系(共産党系)と革マル系の両派自治会の間でキャスティングボートを握って調停する役割を果たしていたので、藤田さんのこういうご姿勢はとても納得感がありましたけど、…ただの元来の日和見主義が強化されただけかもしれない。
そして、労農派の系統の藤田さんと、大学院での共産党系の置塩師匠の両方のハイブリッドとして私はできたわけだ。神戸の街の中では労農派の流れの協会系の社会党活動家といっしょに活動して、学内の院生協議会では共産党系の活動家といっしょに活動していましたし。…まあ、ますます日和見主義に拍車がかかっただけとも言える。
(9月6日追記:今日午前中PHP出版さんで編集者のかたお二人と打ち合わせをしました。そのときの雑談で、デング熱関連の代々木公園の蚊の話だったんですけどね。若い女性の編集者の人が曰く、
「代々木には近づかない方がいいですよ。」
「……」
思わず「すみません」とか言いそうになったぞ。)
報告レジュメを本サイト「アカデミック小品」 のコーナーにアップロードしておきますので、是非ご検討下さい。
この報告が私もちょっと時間をとったし、何よりあとの質疑が盛り上がりすぎたので、会場の手配やら見学先のコーディネートやら懇親会の予約やらを一人でされた金沢大学の瀬尾さんが、ご自分の報告を断念されてしまった。すみません!!
で続きは、私のところの院生の小田巻が、協同組合の事業スキームを「コ・プロダクション」概念から根拠づける報告をしました。コ・プロダクションというのは、要するに利用者が主権者としてかかわって供給者とともにサービスを共同生産するあり方を指しています。この概念の提唱者の一人に、スウェーデンの代表的な協同組合研究家のペストフさんがいらっしゃいますが、実はこのペストフさんが親しくつきあってきたのが藤田暁男さんで、互いに手引きして相手の国に滞在したほか、藤田さんはペストフさんの英語文献をいくつか翻訳して紹介しています。
まあ、ちゃんとこういう仕事が孫弟子に引き継がれていますよということは師匠にわかってもらえたかな。
そのあと、「金沢学生のまち市民交流館」 に移動し、藤田さんが創られた「i−ねっと」の青海康男事務局長から、現在の活動の状況と、石川県におけるNPOセクターの現状についてお話しいただきました。話を聞いていると青海さんが講演されること自体が重要な収入源になっているようですのに、よく準備されたパワーポイントを使った丁寧なお話をタダで聞かせていただいてもうしわけなかったです。あとでメールでそうもうしあげましたら、「藤田先生へのプレゼントです」とおっしゃっていただきました。
この会場の「金沢学生のまち市民交流館」というのは、大正時代の金澤町家を改修した市の施設だそうで、要するに、学生にいろいろまちづくり活動にかかわってもらうための拠点ですね。元の土蔵の中がこういう講演などができる空間になっていました。
続いて、現在の金沢で活躍するNPOの一例として、「NPO法人金沢アートグミ」 を見学しました。まあ要するに、地元の町の中には、なかなか世の中に名が知られていなくて、芸術で食っていくのが大変な芸術家がいっぱいいるのですが、そういう人たちを発掘して、活躍してもらう企画をしたり、仕事を紹介したりする活動をしています。
展示されている現代造形自体は、なかなか私では理解力が追いつかないものばかりでしたけど...。
その後参加者で居酒屋で盛り上がり、院生らは最終の特急で関西に帰ったのでした。
私は小松市の実家に泊まったのですが、久留米の妻からは、10日にお盆で坊さんがくるから、それまでに家をかたづけるために早く帰ってこいと言われていたので、翌8日には関西に戻りました。本当は京都の住居で一泊して、住居や研究室をゆっくり片付ける予定だったのですが、おりしも台風が迫っています。それが九州にやってきたら新幹線が動かなくなるかもしれないと恐れたので、8日のうちにやっつけ仕事で片付けて、仕事に要るものを九州に発送して帰宅しました。まあ結局九州には台風はこなかったのですけどね。
◆ 8月8日〜9月1日:久留米の自宅にて
この夏一番の仕事は、ナカニシヤ出版さんから出す予定の学部高回生、大学院生向けの教科書「最強のマル経(仮名)」の原稿四章分でしたけど、やっと帰宅してから、成績付け業務の傍ら書き出しました。
そしたら、自宅で同居してきた91歳になる妻の父が、私や孫(私の息子)が帰って来たとたん、最初はなんとか身の回りのことはやっとこさできていたのが日に日に弱っていって、とうとう身動きができなくなり、最後は呼吸も困難になって救急車で入院する事態に。私は介護保険の申請をしようとしたのですが、どんどん状況が変わっていってなかなか手続きができません。
まあ、入院してしまったら世話することもなくなって、8月の後半は思い切り仕事に集中できたのですが...。
とりあえず、三章分書いたところで、シノドスさんの締め切りの二、三日前だったので、今度はそっちに集中して、締め切り1日はみだした26日に電送、28日に掲載いただきました。それがこちら。
「流動的人間関係vs固定的人間関係」と責任概念:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』
そしてなんとか、8月中にナカニシヤ原稿四章分を書き上げたわけです。まだ注は不十分だし参考文献もつけてないし、それなのに容量オーバーなところがかなりあって、今後もずいぶんな手間を引きずりそうですけど。
そのあとは、9月6日に経済理論学会の奨励賞審査委員会があるので、それまでに候補作を読んで講評文を出しておかなければ……というわけで候補作の本を読みはじめたのです。
◆9月も早速絶賛激動中
9月1日は、自分の術後半年の検査で病院へ。京都の診療所からの血液データを持っていってCTを撮ったのですけど、転移など全くなく、数値もいたって正常でした。そして昼に義父に挨拶に行った足で関西に戻り、翌日の昼に迫った、人事の審査委員会のための業績読みにかかったのですが、そんなの間に合うはずないですよ。もともと専門外なので判断できませんし。
2日はその人事の委員会と教授会。翌3日までの間に奨励賞審査委員会のための講評を書いて送りました。
6日がその奨励賞審査委員会で、その上京の機会に合わせて午前中にPHP出版さんと話し合います。そのために東京に前泊するので、5日は、午後予定されている、ナカニシヤ出版の数理パートの執筆者での事前打ち合わせが終わったら、あまりぐずぐずせずに上京しなければなりません。
そして6日中に関西に戻って、7〜9日は立命館でナカニシヤ出版企画の共著者の合宿だあ。
だから、4日から5日がこのエッセーの更新ができるチャンスだと、書きはじめたわけであります。
本来、PHP出版さんからの出版企画のために、シノドスさんに連載した原稿の第8回までの分を修正するのを8月末までにする予定だったのですが、そんなこととうとう全然できませんでしたよ。すみません。出版は10月中というわけにはいかない感じです。
入院中の義父は今、どうなるかわからない状態なので、こんなスケジュールですけど、ドタキャンする事態は起こり得ると思います。関係者のみなさんには、本当にすみませんが、ご理解願います。14日、15日の駒沢大学での基礎経済科学研究所の大会は、万一ドタキャンでホテルのキャンセル料をとられたら嫌だし、上京中に急遽呼び戻される事態になるのもしんどいので、参加やめておきます。すみません。
こんな中で、自宅の私あてに来た息子の大学からのお知らせが、夏休みの間に職場に転送されていて、やっと9月になってから入手したのですが、中には成績通知が入っていて履修した科目の半分は落としているではないか。くそ忙しいときに心配させるやつだ。
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