松尾匡のページ13年3月6日 「市民社会フォーラム」でインフレ目標政策を説いた件
九州大学数理生物学研究室での留学生活は佳境に入っています。
巌佐庸教授から共同論文を2月中に終わらせましょうと言われていたのですが、私も歳をとって、しょっちゅう計算間違いをして膨大なやり直しを重ねるし、体力もなくなっているので、案の定2月中には終わりませんわ。今も毎日かかりきりなのですが、まとめる段になって新たな問題が持ち上がったりして、終息のめどは立ちませんねえ。
私が建てたんですから、周りの院生から比べたらおもちゃみたいなモデルですけど、巌佐先生にもずいぶん手間を取らせてしまってもうしわけないです。
そんなわけで、しばらくこのエッセーも更新してませんでした。今もこんなことをしている余裕はないはずなのですが、日銀総裁人事の問題もあるのでそうも言ってられない。
政府がわざと野党側を反対に追い込む作戦に出るのではないかと警戒してたら、そうではなくて本当によかったと思っていたのですが…。竹中さんみたいな筋悪の候補を出して、左派政党もリベラル保守政党も反対せざるを得ないように追い込んで、右派政党だけでゴリ押しで通したら、反対した政党を、後年経済が絶好調になったあとで「景気回復を妨げようとした奴ら」と攻撃できる。そうなったらもう「詰み」だと思っていましたけど。
民主党、岩田さん副総裁案に反対ですか。社共もインフレ目標政策を理由に全部反対してしまうおそれが高いです。ああ「オウンゴール」であります。「こんなんじゃ足りな〜い」という理由での反対ならあとで申し開きはできますけどね。ともかく一人でも二人でも、正しい判断をしてあとにつなげられる議員が出ることを念じて、エッセー更新しましょう。
先月の17日の夜、「市民社会フォーラム」さんに呼ばれて、神戸で講演みたいなことをしました。お世話をいただいた岡林信一さん、大槻篤史さんに感謝します。
で、岡林さんがつけて下さったタイトルが、
これからの「左翼」の話をしよう アベノミクスにもふれて
(笑)…というわけで、今頃左翼話を聞こうというつわものが集まっていらっしゃる会になったわけですわ。十四、五人のこじんまりした会合なので、みなさんからご質問やご意見を言っていただく方がメインになります。さあ、「つるし上げ」の場になるか?
そこでまず、12月22日のエッセーに書いた選挙共闘名簿のアイデアの話を前振りにしたら、これ自体結構盛り上がって時間を喰い、慌ててインフレ目標政策の話にもっていき…、これがまた大いに盛り上がって、結局、「…にもふれて」の話だけで終わっちゃって「これからの左翼の話」なんか全然できませんでしたよ。
いや全然「つるし上げ」にはならず、感触としては、みなさんにご理解いただいたという気がします。日曜の夜という出にくいときにお集まりいただき、活発にご意見をいただいたみなさんに深く感謝します。終わってからの懇親会でも、金融緩和批判は間違っているとおっしゃっていただいて盛り上がりました。
会場では当然、社共がよく言っている疑問なども出していただきました。話自体も最初から左翼相手のつもりで組み立てましたし、話ややりとりをまとめたら、左派や革新系を自認するみなさんの疑問にお答えするページとして使えるかもしれません。というわけで、大幅な補足も加えて、簡単にまとめておきましょう。詳しい話は、拙著『不況は人災です!』に書いてますので、是非お読み下さい。
欧米では金融緩和は左派側の主張です
このエッセーでは、何度も書いてきたことです。詳しくは、次のエッセーをご覧下さい。
10年1月12日 日欧左派政党の金融政策論
12年11月24日 欧州左翼はこんなに「金融右翼」だぞ〜(笑)
12年11月30日 前回の続き──豪州・NZも労働党は景気刺激LOVE
欧米でもオーストラリアやニュージーランドでも、保守派側が緊縮財政と金融引締めを志向して、なるべくインフレを抑えようとするのに対して、左派側や労働組合は、雇用の維持拡大のために、多少のインフレを認めて積極財政と金融緩和を求める傾向にあります。社会党系も共産党系もどちらもです。金融緩和反対などと言ったら新自由主義者と見られます。
上記、11月24日エッセーではスウェーデン、11月30日エッセーについてはオーストラリアについて、リーマンショックのときに、インフレ目標政策のもと、大胆な金融緩和と積極財政で、危機を乗り切った例を書きましたが、このときスウェーデンは社民党政権、オーストラリアは労働党政権です。(スウェーデンは2006年に保守中道政権に政権交代していました。6/7修正。)
ちなみに、インフレ目標政策はすべての先進国で採用されている標準的な金融政策です。
「中央銀行の独立」は保守派側の主張です
ヨーロッパの共産党の集まりである「欧州左翼党」は、欧州中央銀行の独立的性格を改め、欧州議会の民主的コントロールのもとに置くことを主張しています。欧州社会党は、ユーロ圏の財務大臣の会合をユーロ貨についての決定機関にすべきだと言っています。みんな欧州中央銀行の引締め的な金融運営のせいで労働者大衆が苦しんでいると判断して、その独立性を批判しているのです。
新自由主義とIMFを批判してきたことで知られる、ノーベル賞経済学者のスティグリッツさんは、中央銀行の独立性を批判しています。himaginaryさんの次の記事をお読み下さい。
himaginaryの日記(2013-01-10):スティグリッツ「中央銀行の独立なんかいらない」
今回の講演では、こんなグラフを作って、当日のレジュメに載せました。うっかりして当日は説明するのを忘れたのですけど。
最初、実質GDP成長率で作ったのですけど、それだと変動が激しすぎるので景気の状態がとらえにくくなります。新規求人倍率だと細かい変動がならされて、景気の状態がよく見て取れます。
何をいいたいのかというと、日銀総裁が誰であるかによって、そのときの景気の状態がはっきり色分けできるということです。比較的好況のときの総裁と、不況の総裁が交互に現われていることがわかります。これが一回や二回なら、たまたま景気循環と任期があっていたと言えるでしょうけど、これだけ続くとねえ。
つまり、誰が総理大臣になっても何も変わりませんけど、誰が日銀総裁であるかによって、私達の暮らしは大きく左右されるということです。
こんなすごい影響を与える人が、民主的なコントロールを受けなくていいのでしょうか。「首相公選」なんて議論がちまたにあるみたいですが、むしろ日銀総裁こそ公選されてしかるべきだという気にすらなります。まあそこまでいかなくても、雇用を重視するかインフレ抑制を重視するかは選挙で民意を問うべき課題ではないですか。
中央銀行の独立が大事というのは、本来は戦争で言うと用兵に政治家が口を出すなということと同じ意味です。今の日銀の「独立」は、宣戦布告や停戦を軍部が決めているのと同じです。
金融緩和で損をするのはおカネ持ちだけで、庶民は得します。
このことも、以前このエッセーコーナーで書きましたので、詳しくは次のリンク先をご覧下さい。
10年1月22日 前回のエッセーの続き
簡単にまとめると、今日本では大変な資産格差になっていて、金融緩和の結果の低金利で損するのは、ごく一部の大金持ち。インフレで目減りする資産と負債を比べると、資産保有額下四割の階層では、負債の方が多い──つまり、インフレになると借金の方が目減りして得になるということです。しかもこれは家計だけのデータです。中小零細企業や個人業者は、法人の名前で借金しているのでこのデータには含まれていないのですが、実は個人保証をつけて借りるので個人の借金同然です。やはり、インフレになった方が借金が目減りして得です。
しかも、70年代のインフレ時代には、物価も上がりましたが、賃金はそれ以上に上がって、労働者階級の暮らしは年々改善されていました。それに対して、90年代以降のデフレ時代には、物価が下がる以上に賃金の方が下がって、労働者階級の暮らしは年々貧しくなっています。もちろん、デフレだと雇用が減って失業が増えます。それを防ぐという点でも金融緩和は労働者側にメリットがあります。
なお、将来インフレが予想されると、それを織り込んだ分金利が上がるかもしれません。おカネを貸す側としては、インフレで資産が目減りしては損ですので、市場全体の中でおカネを貸す力が弱くなって金利が上がり、インフレで予想される目減り分を補うまで上がったところでバランスが回復して止まるからです。
その場合借金する側は、金利が上がるかもしれないけど、負債はインフレでその分目減りするので、損得はトントンということになります。
その上に、金融緩和で金利を押し下げる効果が加わりますので、名目金利からインフレ予想を引いた実質利子率は必ず下がります。したがって、住宅ローンなどの借金を抱えた庶民にとっては、金融緩和した方が得。逆に言えば、それがなければ、多くの住宅ローンは現在変動金利ですので、実質利子率の上昇で破産する人が次々出ると思われます。
インフレ目標つき金融緩和は反新自由主義の政策として打ち出されました
戦後、旧ケインジアン(ケインズという経済学者の学説の支持派)は、売れ残りや失業があっても価格や賃金がスムーズに下がらないから、資本主義の市場メカニズムはうまく働かないのだと言って、不況などの資本主義の欠陥から人々の暮らしを守るために政府が経済に介入することを主張しました。
そこで、積極的な財政支出によって、雇用を拡大する政策がとられたわけです。日本では、自民党政権の公共事業投資のイメージが強い政策ですので、保守派の政策のように思われがちですが、ヨーロッパでは、主に社会党系の政権によって、福祉を中心とした財政支出で雇用拡大が図られました。
ところが1970年代に、「インフレなのに不況」という、スタグフレーションと呼ばれる現象が起こりました。このときに、不況だから財政支出を拡大する旧ケインジアン政策をとったのですけど、インフレがひどくなるばかりで解決になりませんでした。(もっとも、今の目から見ると、なんであのくらいで「不況」と言ってたのか。今の日本のレベルから見たら、十分「好況」じゃないかという感じがするのですが。)
そこで、資本主義経済は放っておけば市場メカニズムが働いてうまくいくのだという、新しい古典派の経済学が受け入れられ、そのもとで、財政削減や金融引締め、規制緩和、民営化などが行われました。いわゆる新自由主義ですね。インフレ退治が優先されて、不況になって失業者が増えてもおかまいなし。市場メカニズムが働けばいいわけだから、賃金が下がらないなら、その妨げになっている労働組合を弱体化させれば、賃金がスムーズに下がって失業はなくなるのだとされました。
ところが、1990年代の日本では、価格も賃金もスムーズに下がるようになったのですが、では市場メカニズムが働いて売れ残りや失業がなくなるかといったら、いっこうになくならないし、ますますひどくなるという事実が判明しました。新しい古典派の見方は間違っていたのですが、旧ケインジアンも、「価格や賃金がスムーズに下がらないからうまくいかない」とみなしていた点では、同じように間違っていたわけです。
そこで、ケインズ自身が、資本主義経済で不況になって失業が生じるのはなぜかをどう説明していたのかが再発見されたのです。「価格や賃金が下がらないから」ではなかったのです。
ケインズが不況の原因として見ていたのは「おカネ」でした。人々が、何も買う予定がなくてもとりあえず手元におカネをおカネのまま持っておこうとすること。ケインズはこれを「流動性選好」と呼びました。これが不況と失業をもたらす諸悪の根源とされたわけです。
ちなみにこれはマルクスの見方と同じです。何かを売って手に入ったおカネを、みんながみんな何か買うために使うならば、「売り」と「買い」は総計では等しくて、全商品が売れ残るということはあり得ません。しかし、何かを売って手に入ったおカネの一部を、何も買わずに持ったままにしたら、「売り」と「買い」の総計は一致せず、全商品が売れ残ることも起こり得ます。これがマルクスが恐慌の一番根本の原因に見ていたものです。
ところで、新しい古典派が旧ケインジアンに勝って学界に受け入れられたのには、やはり合理的な理由があります。旧ケインジアンがあまり重視していなかった、人々の将来予想というものを重視するようになったのです。
新しいケインズ派はこれを引き継ぎました。
この見方からは、デフレ不況は次のように説明されます。
モノも労働も売れ残って、価格や賃金が下がり続けると、将来もこの調子で下がるだろうとみんな予想します。すると、大きな買物は、今買うよりも、価格が下がってからに先送りしたほうがいいことになります。特に、設備投資やマイホームみたいに借金して買う時には、将来、自社製品の売値が下がったり、賃金が下がったりしたら、借金を返すのが大変になってしまいます。
つまり実質利子率が高くなるということです。契約書に書いた名目金利に、デフレ率を足したものが、実質的な利子率になるわけですから。
こうなると、モノを買おうという需要が社会全体で少なくなって、売れ残りや失業が出ます。そうすると、価格や賃金が下がって、人々の当初の予想は当たり、以下この過程がグルグルまわって延々続くことになります。どんどん不況はひどくなって失業者が増えていきます。
もちろん、モノを買わないのならば、その分余ったおカネをみんながみんなよそに貸そうとすれば、利子率が下がっていって、やがておカネを借りて設備投資したりマイホームを建てたりする人が増えていくかもしれません。
しかし、ここで「流動性選好」の問題が出てくるのです。
不況で危険いっぱいのときには、うっかりよそにおカネを貸しても戻ってこないかもしれません。今長期に貸すよりも、もっと金利が上がってから貸した方がトクかもしれません。そう思ったら、よそに貸さずにおカネをおカネのまま持っておこうとします。おカネのままでも、デフレが続くならば、ただ持っているだけで将来モノの買える量が増えるのですから、利子がつくのも同然です。だから銀行は貸し渋るし、大企業は内部留保を貯め込むし、みんなおカネのまま貯め込んで使わず、不況がひどくなっていくのです。
そこで、新しいケインズ派は、おカネの価値を下げることで、おカネを貯め込むことを不利にする政策を主張したわけです。
それがインフレ目標政策です。
2%なら2%というインフレ目標を定め、それを実現するまで金融緩和を続けるぞと中央銀行が約束すること。それによって人々の予想が変わって、将来のインフレを信じるようになれば、先ほどの因果が逆回りします。おカネを貯め込んでも損なだけです。物価が上がるより前に大きな買物は今のうちに前倒しして買おう。将来借金を返すのは楽になるから、今のうちに借金して設備投資しようとか耐久消費財やマイホームを買おう…という動きが起こってきます。そうしたら、需要が増えるので、価格や賃金が上がって、人々の予想は当たり、以下この過程がグルグルまわって景気がよくなっていくということになります。
日本のデフレを見てこの作戦を最初に唱えたクルーグマンさんは、ブッシュ政権の新自由主義政策と闘ってきたアメリカの中では左派系の雄です。
その後、日本でもこれを唱える人が増えていきましたが、それは、学界を支配する新しい古典派との激しい論争を経てのことでした。それまで学界を支配し、マスコミや政界、官界をも支配していたのは、日本の経済停滞の原因は供給構造問題にあり、不採算なゾンビ企業が生き残っているせいだから、激しい競争にさらして不採算部門を淘汰して生産性を上げようという「こーぞーかいかく」な論調でした。デフレはグローバル化の影響で、いいことなのだとされてきました。
こうした論調に対して、新しいケインズ派のインフレ目標論者は、日本の経済停滞の原因は供給側にあるのではなくて総需要不足にあるのだとして、人々に膨大な犠牲を強いる新しい古典派の政策論を批判したわけです。
「どれだけ金融緩和しても銀行にためこまれてデフレは止まらないのでは」という疑問に対して
「流動性選好」がヒドくなった状態は「流動性のわな」と呼ばれています。近年の日本はその状態にあったとされています。これは、みんなおカネをおカネのまま貯め込もうとして、新たにおカネが入ってきても、一切使わず、他人にも貸さず、全部おカネのまま持ってしまう状態です。銀行の貸し渋りなんかは、その現れのひとつです。
こんな状態では、日銀が金融緩和しておカネをたくさん出しても、みんな貯め込まれてしまうので、モノへの支出には回らず、いっこうにインフレにならなのは当然です。
しかし、2003年頃から本格化した大量の金融緩和の場合では、直接目の前の現実をデフレからインフレにすぐにできたわけではありませんが、人々のインフレ予想を上げることはできました。
普通の国債の利回りから物価連動国債の利回りを引いたものは、「ブレーク・イーブン・インフレ率」と呼ばれ、市場参加者が将来のインフレをどのように予想しているかを知るための目安になっています。物価連動国債は2004年の春から発行されたので、「ブレーク・イーブン・インフレ率」もそれ以降からしか取れませんけど、発行のとたんプラスから始まり、その後どんどん上昇して1%に迫るところで推移していました。
このとき、実際にはまだデフレが続いていました。しかし日銀のデフレ脱却のはっきりした約束と大規模な量的緩和を見て、人々は将来のプラスのインフレを予想したわけです。
これで実質利子率が下がって、設備投資が増えていって、不況からの脱却ができました。大規模な金融緩和と合わせた大量の円売り介入で円安になり、輸出が増えたことも、それに加わっています。
ところが、金融緩和姿勢で人々の予想インフレが影響されるという効果は、逆方向にも簡単に働きます。
日銀は、ちょっと景気が回復したと思ったら、まだデフレ脱却ができていないのに、2006年から、量的緩和を打ち止めにしたり、ゼロ金利をやめたりと、一連の金融緩和打ち止め策を続けました。その結果、ブレーク・イーブン・インフレ率はどんどんと下がっていって、2008年春にはとうとうマイナスをつけてしまっています。
つまり、実質利子率が上昇していったということで、実際これを受けて設備投資の伸びは鈍化し、2007年には日本経済は後退局面に入ったとされています。つまり、リーマンショックが来る前に、とっくに景気は挫折していたということです。
リーマンショックのとき、アメリカではブレーク・イーブン・インフレ率がどんどん下がり、マイナスをつけたのですが、アメリカの中央銀行であるFRBはただちに大規模な金融緩和を行い、発行したおカネである「マネタリーベース」を増やしました。そうしたら、それを見て人々のインフレ予想はたちまち反応し、ブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)は反転してプラスに戻し、上昇していきました。
これによって実際に総需要が増えていけば、上の日銀のケースのように途中でやめないかぎり、やがて物価は上がりだします。金融緩和だけでもインフレをもたらすことはできるのです。
しかし、それでは心もとないというのであれば、金融緩和で作ったおカネで政府が財政支出すればいいだけです。
実際、「アベノミクス」の場合は、政府支出の使い道には大いに異論がありますけど、日銀が作ったおカネは結局財政支出に使われるわけですから、確実に物価は上がりだします。
この使い道に賛成する必要はありませんけど、私達は、同じように日銀が金融緩和で作ったおカネで、政府が福祉や医療や子育て支援や教育等々に大胆な支出をするように主張すればいいのです。やはりそれは財やサービスを買うのに使われますので、確実に物価は上がりだします。
民主党政権だって、子ども手当も高校無償化も被災地復興も、こうやって日銀が無から作ったおカネで糸目をつけずにつぎ込んでいたら、デフレ脱却して好況になって雇用も増えて、一石二鳥も三鳥もということになり、あんな惨めな負け方をしなくてすんだのに。
それでも物価が上がらないというのならば、こんないいことはない。是非やって、この世から貧困を一掃し、高度福祉国家を建設するべきです。
かと思うと、そんなことをすると「ハイパーインフレになる」という心配をする人もいますが…
ハイパーインフレになどなりません
ハイパーインフレにしろ、年率二桁の悪性インフレにしろ、モノやサービスの需要に対して、供給が足りなくて追いつかないから起こります。今の日本のように失業者があふれ、設備が遊休しているような供給能力過剰な状態で、ハイパーインフレになった例などありません。
去年の7月14日のエッセーでお見せした説明を繰り返します。
冷え込みが厳しいと、多少熱を加えても熱は外に出ていって中まで伝わらない。つまり、おカネが銀行の日銀の口座にムダに貯め込まれて貸出にまわらないということですね。デフレ圧力が続いて、総生産・雇用は減り続けます。
それでもめげずにガンガン暖めれば、圧力が逆向きになる。雇用が伸び、生産が増やせる限り、インフレ圧力はそんなにひどく高まることはありません。
完全雇用に至っても暖め続けると、中の圧力が加速度的に高まっていき、やがて爆発します。悪性インフレやハイパーインフレはこのときの話です。
インフレ目標というのは、こうならないようにするための歯止めでもあるわけです。
一旦二桁、三桁といったインフレになってしまったら、これを抑えようと金融引締めしたら経済がクラッシュしてしまうのでなかなかできず、インフレが激化していくのを許してしまうというのはよくあることでしょう。
しかし、二桁、三桁になる前に、必ず4%、5%といった時期を経過するわけです。このとき引き締めればいいだけです。金融緩和で下からインフレ率を上げるのは難しいですけど、金融引締めで上からインフレ率を抑えるのは非常に簡単です。
日銀の作ったおカネで財政支出をまかなっていけませんというルールは、統計技術が不十分だったころには合理的だった「歯止め」の付け方だと思います。今はこんなルールは変えてしまって、直接にインフレ率を歯止めにすればいいのです。たとえて言えば、今は、ダイエットをするのに、一日ごはんは茶碗一杯までと決めて、栄養失調でガリガリになってもそれを守っているようなものです。それよりは、「体重何kg」と目安を決めて、それよりも軽ければどんどん食べて、それを超したらセーブするというふうにした方がいいに決まっています。
むしろ心配は、不況があんまり長く続いて設備投資が更新投資さえされないままになっていくと、やがてまともな機械や施設が足りないという意味で供給能力不足になることです。体制崩壊時代のソ連圏の国とか発展途上国では見られたことですが、失業者がたくさんいるのに供給能力不足になりかねないわけです。こんなふうになると、失業者をなくそうとしておカネをたくさん作ると、本当にハイパーインフレになってしまうかもしれません。
そんなふうにならないためにこそ、早くデフレ不況を脱却する必要があるわけです。
長期金利急騰などしません
政府が財政支出をバンバンするために国債を発行し、その国債を日銀が買取ることで、市場におカネを出すというと、「国債の信頼が損なわれて長期金利が急騰する」と心配する意見があります。
新規発行分に関して言えば、そんなことは全くありません。
それはあまりにもあたりまえの話です。国債市場における、政府による供給増と日銀による需要増が同じなのですから、市場には何の影響も与えません。
もちろん、将来の物価上昇予想があれば、先ほどの理屈と同じでその分を織り込んだだけ名目金利は上がりますが、実質利子率への影響はありません。実際には、政府の発行分以上に金融緩和しますので、実質利子率は下がります。さらに、その結果人々の所得が増えて、そのうちからおカネを貸そうとすれば、実質利子率はさらに下がります。
やがて景気が好くなって、設備投資が活発化すれば、おカネを借りようとする力が強くなるので金利は上がっていきますが、それは好景気の結果普通に起こることです。
このときに、「国債の信頼」という問題は何も関係しません。日銀の金庫に収まったおカネは、塩漬けされて市場とは関係ないからです。満期がきても永久に借り換えればいいので、ないのと同じです。民間人の持っている国債は満期がきたらちゃんと返すことが保証されていさえすれば、国債市場に何の影響もないわけです。
本当ならば、コインは政府が作るものなので、政府が500円玉を改造して1兆円玉を何枚か作って日銀に持っていって両替してもらって、政府の口座に何兆円か振りこませて、それで政府支出してもいいのです。このときは、債券市場に一枚の国債も出てきませんので、国債の信頼は揺らがないし、金利が急騰したりもしないことは誰でもわかります。
本当はそうやってもいいのだけど、本当にそれをやろうとすると抵抗も多いだろうし、一応既存のやり方を形だけ守っているのが今のやり方で、間に国債がはさまって形だけ国債市場に出るようになっていますけど、実態としては最初からないのといっしょで無視していいのです。
日銀の金庫に収まる国債のことではなくて、すでに発行されていて民間人が持っている国債が、将来何かのために信頼が揺らいで金利が高騰するということならば、たしかに起こるかもしれません。しかし、それを防ごうというのならば、デフレの今のうちに日銀が買い取って塩漬けにしてしまうのが一番です。景気がよくなってインフレになってからでは取れない手です。その意味でも、インフレ目標実現のために日銀が長期の国債もどんどん買取ることは良策だと思います。
日銀の金庫にしまい込まれた国債が、国債価格の下落が起こった時に何か影響することがあるかというと、ひとつだけあるのが、将来インフレが進みすぎたときに、それを抑えるために日銀が手持ちの国債を売って市場からおカネを吸収するのですが、そのときの手持ちの弾が軽くなってしまっておカネを吸収する力が足りなくなるのではないかという懸念です。
しかしこれは、本当にハイパーインフレに突入してしまったらたしかに成り立つ懸念でしょう。その前に、4%、5%となった段階でのインフレを2%に抑えるために、どれほど国債を売る必要があるかを考えれば、心配することはないと思います。2011年4月29日のエッセーで書きましたが、仮に当時の日銀が持っていた国債77兆円のうち三分の一の価値が失われたとしても、なおマネタリーベース(日銀の出したおカネ)の半分は吸収できるわけで、それは、多少のインフレ悪化が起こっても、経済を一転デフレ恐慌にたたき落とすには十分です。
物価が上がっても賃金が上がらない懸念について
インフレ目標政策のインフレというのは、新しいケインズ派の理論の上では、貨幣以外のあらゆる商品の価格が上がることを意味しています。だから、労働力の価格である賃金も、外貨の価格である為替レートも、同じ率で上がる想定なのです。各時点でのいろいろな商品の間の相対価格に関してはさしあたり影響がなくて、ただ、現在財と将来財の間の相対価格である実質利子率を操作するというのが目的なのです。
しかし、現実には、モノやサービスの価格の上昇に対して賃金の上昇は遅れるでしょう。これで企業がもうかることを狙う向きもあるかもしれませんが、それは本来インフレ目標での景気回復論者が主張していたこととは違います。
だから、日本共産党の言う「賃上げ目標」論は、全く正しいし、インフレ目標政策と何も矛盾しない。矛盾しないどころか確実化させる手段になります。
上に述べたように、「流動性のわな」では、せっかく日銀が出したおカネも、さしあたり貯め込まれてしまって世の中に出回りませんから、なかなかインフレを実現するのも大変です。しかし、最低賃金を2%で上げていけば、人々のインフレ予想を確実にすることができます。これは法令で決めればいいわけですから簡単です。
同様に、生活保護水準も公務員の給料も、整合的に2%で上げてこそ、人々のインフレ予想を確実にすることができます。現政権のように、逆にこれらを引き下げることは、インフレ目標政策の足をひっぱることになるのです。
しかし、賃上げがこのような効果を持つのは、金融緩和と合わせてこそだということに注意して下さい。「賃上げか金融緩和か」という代替案として打ち出してはならないのです。共産党の言い方だとそんなニュアンスがありますけど。
なぜなら、本当に全般的に賃上げがなされたならば、同じことをするための事業資金でも金額が膨らみますので、世の中に出回っているおカネの量が変わらなければ、資金を借りなければならない力が強くなるので金利が上がり、設備投資が諦められたり、資金繰りのつかないところが出たりして、総需要が減って景気が悪くなるからです。経済理論の言葉では、実質貨幣供給量が減るということです。
中小企業の場合にはモロにそういう影響が出ますが、大企業の貯め込まれた内部留保を賃上げ資金にあてる場合も同じです。貯め込んでいることを損にしなければ、貯め込むことをやめはしないのです。そうでなければ、賃上げに使っても、その分設備投資などの支出を減らして、貯め込む分は減らさないということになります。結局、総需要が減って景気は悪くなります。
「バブルになる」との懸念について
金融緩和で景気をよくしようとしても、実体経済に基づかないバブルになるとする懸念を聞きます。
まず、「アベノミクス」について言えば、使い道には賛同しませんけど、ともかく財政支出がなされるわけですから、実体経済に直接需要が発生します。実需を伴わない「バブル」ではありません。私達は、福祉や教育など、別の使い道を提唱すればいいわけですから、やはりこの場合も実体経済に直接需要が発生するので、「バブル」ではありません。
目下の株価上昇を指して「バブル」と呼んでいる場合もあるようです。この株価上昇を指して早くも景気回復のように言う議論に対して、まだ実体が追いついていないと批判することは妥当な議論ですけど、こんな状態がずっと続くように言うのも根拠はありません。
実需満々の高度成長時代の好景気だって、景気回復は、目下の企業収益から計算したら出る額以上に株価が上がることからまず始まります。そういうものなのです。
あとで実需に基づく企業収益が上がって、実体が追いついていって、バブルはバブルでなくなるのです。
だから、景気回復期の株価が実体を超えたバブルだから駄目だと言うのは、そもそもいかなる景気回復もするなと言うに等しいことになります。
財政支出を伴わず、金融緩和だけで世の中におカネを流したときに、バブルになるかならないかと言えば、バブルになる可能性もあるでしょう。もっとも今は、地価が上がってもうかることに高い税金をかける仕組みがいつでも取れることになっているので、かつてのバブル時代のようなヒドい地価高騰が進む心配はありませんが。
デフレ状態で足りなくなっているおカネを日銀がたくさん作って出したとき、それが、世の中のどこに回るか。ニーズのあるところに回る仕組みをどう作るか。私達はその議論に参加して、本当に民衆にとって必要なところに公平にまわる仕組みを作るよう目指すべきです。資産家や大企業が株や土地を持つことにばかり流れてバブルが進まないように。
しかし、金融緩和でおカネを作ること自体を否定してしまえば、世の中に本当に必要なところにおカネを回すことも、もともとあり得ないことになってしまいます。
円安は近隣窮乏化だとの批判について
金融緩和で円安が進むと、外国製品が割高になって輸入されにくくなりますから、近隣諸国から見たら日本への輸出が減ってしまいます。あるいは、日本製品が海外で割安になりますので、ライバルの外国製品はそれまでより売れにくくなります。そこで、金融緩和は近隣諸国の輸出を減らして不況を押し付けるものとの批判があります。
まずもって、日本が景気拡大すれば、日本への輸出は増えて、当初のデメリットは取り戻せるものだと思いますが、そもそもこの議論は、外国の金融政策を不変のものと扱っているところがおかしいです。
円安になったのが困るならば、他の国も対抗して自国通貨を安くするように金融緩和すればいいのです。そうすると、為替レートはもとのままで変わらないかもしれません。しかし、みんなで金融緩和しあうことで、世界中で景気がよくなって、みんな状況が改善されます。
インフレで困っている国は、金融緩和できないかもしれませんが、そういう国の経済はすでに加熱しているわけです。だから、通貨が割高になって輸出が減って総需要が抑制されることでちょうどいいのです。それがいやだというのは、一部の輸出産業の特定利害を反映した声であって、一国全体の利害ではないと言えます。
もう事業機会はないのか
今日では人口も増えず、市場の成熟も行き着いて、目立った事業機会はない。だから、実質利子率を下げたくらいでは十分な設備投資は興ってこないというご批判もあります。
ほんとうでしょうか。介護、子育て支援、教育、環境負荷の小さい製品、安全な食品、質の高い文化サービス等々に対するニーズはたくさんあるのに、まだまだ満たされていないのではないかと思います。それが需要として出てきていないのは、不況で所得が足りないからでしょう。まずもって景気をよくすることが第一です。
これらがまっとうな雇用を支えるに足る十分な需要になるには、財政支出や公的保険で必要な人のところにおカネを回す仕組みも必要ですが、それも、デフレ不況のもとで人々の所得が少ないうちは、金融緩和でおカネを作り出して資金にすればいいわけです。十分景気がよくなれば、課税で財源を作ることもできるようになります。
もう成長は要らないのか
もう経済成長を目指すべき時代ではないとの声も聞きます。
これが、失業者を雇いつくした完全雇用の天井の成長についてのことならば、たしかにある程度そのとおりだと思います。
この天井が上昇し続けるためには、労働人口が増えない以上は労働生産性が高まらなければなりません。構造改革派などの新しい古典派の論客が、規制緩和などで生産性を上げることを一生懸命目指していたのはこのためです。
天井が上昇するためには、機械や工場などの生産設備も増え続けなければなりませんので、経済全体の最終生産物の一部には、常に必ず機械や工場の純増分が含まれなければなりません。ということは、経済全体の労働のうちの一部は、直接間接にこれらのものの生産に割かれなければならないということです。消費財等々を直接間接に作るための労働はその残りでなされることになります。
ところが、今日の日本のように少子高齢化が進んで、限られた労働資源のうちから介護や医療などに今までよりもたくさん振り向けなければならなくなると、替わりにどこを削るのかが問題になります。天井自体はもう成長しなくていいから、機械や工場の純増分を直接間接に生産するために割かれていた労働を削るというのは、ひとつの方法です。
しかしこういう話と、失業がたくさん出ている状態から、景気をよくして完全雇用までもっていこうという意味での「成長」とは全然違う話なのです。
この場合の「成長」は、必ずしも機械や工場の純増を必要とはしません。十分な遊休設備があるかもしれません。だから新たに増えた雇用が全員福祉ヘルパーという可能性だってあり得ます。景気拡大といったら「煙突モクモク」というような狭いイメージでだけとらえるのは間違いなのです。
景気が悪ければ、機械や工場の純増どころか、これからも必要な部門の設備の更新投資自体行われないでしょう。そうしたら生産能力が落ちていきます。それだけならいいのですが、そのことは、エネルギーを節約する技術も普及していかないということを意味します。景気が拡大しないことが、何かエコロジカルないいことのような印象をお持ちのかたもいらっしゃるかもしれませんが、景気が拡大した方が、国全体としてエネルギーの節約が進んでいくのです。
去年の6月5日に書いた次のエッセーを是非お読み下さい。
12年6月5日 飽食ニッポンはどこへ行った+不況では脱原発は進まない
今の日本の一人当たりの食料のエネルギー摂取量やタンパク質摂取量は、どんどん減り続けてとうとう戦後すぐの水準にまでなっています。高齢化の影響はあるでしょうけど、若者世代だけにかぎっても減っていて、基準摂取量を下回りつづけています。しかもこの変動が同じ世代の失業率と逆の動きをしているようです。不況による貧困化が、ここまで深刻なレベルになっているらしいということです。「飽食日本」「過剰浪費」といったイメージで今の日本社会をとらえるのは大間違いなのです。
それから、日本全体での一次エネルギーの節約は、設備投資の動向と動きが一致しているということも書いてあります。景気が悪くて更新投資もなされないと、エネルギーの節約は進まない。脱原発も進まないということになります。
あと、全労協さんに講演に呼ばれたときの質疑をエッセーに書いています。合わせてご覧下さい。
11年2月2日 全労協で「不況は人災」講演をしました
ところで、この講演の翌朝、朝日新聞のケインズについての特集記事に、ボクの話がちょっと載ったのでした。こちらからどうぞ。
はじめてのケインズ 長引くデフレ、財政政策に再び注目
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